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「…う、う〜ん……い…痛たたたた……」
身を起こすと同時に、腕にまとわりついていた無数の枯れ葉が落ちる。
仰ぎ見ていた空には、雲ひとつ見えなかった。
肘をさすりながら立ち上がり、レーニィはキョロキョロと周囲を見回す。
いったい、どっちからどっちへ投げ出されたのか。
おそらくはあの一瞬、意識が飛んでいたらしい。皆目見当がつかなかった。
それでも、左後方に街道のガードレールが見えている。
どうやら、さっきまで走っていた道はあそこらしい。
体の向きを変え、歩き出した瞬間。 .....
レーニィは初めて、自分の体のどこにも痛みがない事に気付いた。
歩くたび軽く体が沈み込むほど、何重にも積もった落ち葉。これが、どうやら
衝撃を打ち消してくれたらしい。
固い地面や木に激突していたら、ただでは済まなかったに違いない。
それは、大いなる幸運だったのかも知れなかった。
しかし今。
レーニィに、怪我がないことを喜ぶだけの余裕はなかった。
「…クーパーは…」
うわ言のように呟き、落ち葉を踏みしめながら道路へと駆け戻る。
探すまでもなかった。
目指すものは、ひときわ大きな木のすぐ脇に倒れていた。
見覚えがある。
ほんの数十秒前。
カーブの手前で、ほんの少しハンドル操作を間違えて。
そのまま、トップスピードで突っ込んだ木だった。
屈み込んだレーニィは、ハンドルに手をかけて目指すものを起こす。
どうやら、フレームは無事らしかった。
古いタイプのプレミアモデルは、一般的なものと比べて頑丈に作られていると
聞いたことがある。
確かに、その通りだった。ハンドルを軽く動かしてみたが、引っかかるような
違和感は特に感じない。
おそらく、このまま走ることもできるだろう。
しかし、外装部分は別だった。
フロントカバーの形状は、もと何だったのかも分からないほどメチャクチャに
ひしゃげて歪んでしまっている。細かな亀裂が縦横に走っている部分からは、
動かすたびに細かな塗装片がこぼれ落ちた。
交通事故による損壊。
誰が見ても、それは明らかだった。
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少女レーニィは、昨日15歳になった。
家族みんなが、盛大に祝ってくれた。
特に上機嫌だったのが、日頃から自分を可愛がってくれる祖父だった。
誕生パーティが終わった後、レーニィはこっそり祖父の部屋を訪れていた。
「ねぇ、おじいちゃん。」
「何だい?」
「…ひとつだけ、お願い聞いてくれないかな?」
「おや、誕生日プレゼントだけでは不満かい?」
「ううん、そんな事ない!とっても嬉しかったよ。…だけど……」
「だけど?……ひょっとして、パパやママのいる場所では言えない事かな?」
「…う、うん。」
「まあ、言ってみなさい。」
「…あのね。おじいちゃんの持ってる、34型のクーパー…。あれを一日だけ
貸してくれないかな…。」
「ホッ!そりゃあ、ずいぶんと大胆なお願いだねえ。確かに、パパが聞いたら
怒り出すだろうな。」
「で、でもね。免許ならこないだちゃんと取ったし、友達のクーパーに何度も
乗ってるから大丈夫。ちゃんと乗れるよ!」
「…あれが、値打ちものだということは知ってるんだね?」
「うん。…子供の頃から、ずっと乗ってみたくて……」
「………」
「やっぱり、だめ?」
「…一日だけでいいんだね?」
「うん!」
「きちんと安全運転して、きちんと返せると約束できるかい?」
「約束する!」
「…わかった。じゃあ、あした一日だけなら貸そう。」
「ホントに!?」
「ああ。お前ももう15歳だ。自分の事に責任が持ててもおかしくはない。
ただし、約束は忘れないようにな。」
「うん!ありがとうおじいちゃん!!」
「パパには内緒にしておけよ。」
「もちろん!!」
「クーパー」とは、いわゆるオートバイのような乗り物だった。
1〜3人くらいまでの交通手段としては、非常に広く一般で使用されている。
歴史も古く、年代ものにはかなりのプレミアがついているものも多い。
レーニィの祖父が1台所有している「34型」というのは、マニアにとっては
垂涎ものの車種だった。
女の子にしては珍しく、レーニィは昔からこのクーパーが大好きだった。
両親は乗らないが、祖父がコレクターであるため、ほんの小さな頃からよく
相乗りであちこちに連れてもらっていたからだろう。
将来レーサーになりたいと思った事もあるほど、クーパーに入れ込んでいた。
免許は13歳から取れるが、両親は彼女がクーパーを持つ事には反対だった。
仕方ないので、免許の取得費用は小遣いやアルバイト代を地道にためて何とか
一年で捻出した。
クーパーに詳しい友達の家に足しげく通い、乗り方も色々と教わった。
愛車はないものの、運転技術はそれなりに磨く事ができた。
だからこそ、誕生日を狙って祖父に頼んでみたのだった。
どうせならば、プレミアに乗ってみたい。
あの名機を駆って、思いきり風を感じてみたい。
一心に願っていた。
そして、ついに願いはかなった。
有頂天になったレーニィは翌日、両親が出かけたのを見計らって祖父の別宅へ
電車で一緒に向かった。
何台ものコレクションを保有している祖父は、自宅とは別にガレージ代わりの
家を2軒ほど持っていた。
電車というのは、いわゆるリニアモーターカーの高度なものだった。
速度が桁違いであり、ほとんど振動なく千キロ単位での移動が容易にできる。
陸での交通は、このリニア電車の登場で劇的に変わっていた。
貨物の運送も旅客運送も、ほとんど時間を要しない。
社会は、飛躍的に便利になっていた。
しかしその一方、旅の楽しみは大幅に減少していた。
あまりにも速いため、景色を楽しむ余裕などほとんどない。目的地まで、皆で
わいわいと楽しむような時間もあまりない。
移動は、まさに単なる「移動」という意味しか持たなくなってしまっていた。
そして自動車やクーパーは、娯楽という目的で以前とは違う価値を持った。
のんびり移動を楽しむ。それが、ひとつの娯楽となる。
貨物トラックなどがほとんど走らなくなったため、交通量も少ない。
交通事故も減った。
だからこそ、人は走る事を心おきなく楽しめる。
それは車社会の、ひとつの理想形といえるかもしれない光景だった。
そしてその日。
レーニィも、憧れのクーパーにまたがって颯爽と走り出していた。
気を付けろと繰り返す祖父に、笑って手を振りながら。
古いものながら、さすがに性能もメンテも万全だった。
大通りを走ると、対向車線の車両から時おり羨ましそうな視線が投げられる。
快感だった。
まだ、時間も早い。
どうせなら、自然に囲まれた道を心おきなく走ってみたい。
何といっても、貸してもらえるのは今日だけなのだから。
そんな思いから、レーニィは町を抜けてひたすら走っていた。
全ては、順調だった。
あのカーブに、差し掛かるまでは。
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スイッチをひねると、クーパーは問題もなく息を吹き返した。
シートにまたがったものの、レーニィはどうすればいいか分からなかった。
このまま、帰る事はたぶんできるだろう。
しかし、事故を起こしたという事は隠しようがない。
謝ったら、許してくれるだろうか?
たぶん、おじいちゃんなら許してくれる。
悪気があって壊したわけではない。
そういう部分は、ちゃんと酌んでくれる人だからだ。
おそらくは、怪我がなかった事を喜んでくれるだろう。
しかし。
「この先、もうクーパーには乗るな」と言われるのも、確実な気がする。
この自分を、大事に思ってくれるからこそ。
乗るなと言われれば、拒むというわけにはいかない。
やっと15歳になって。
苦労して免許を取って、クーパーを駆る事ができたのに。
これで、もう乗れなくなるかも知れない。
あれほど子供の頃から、大好きだったクーパーに。
たった一度の、事故で。
唇を噛みしめ、レーニィはボロボロになったクーパーを発進させた。
祖父の家に向かって、ではない。
さすがに、すぐに帰る気にはなれなかった。
かといって、どうにかできるあてもない。
「ええっと…駅の場所は……」
ぼそぼそと反復しながら、レーニィはゆっくりとクーパーを走らせた。
もう少し行けば、ほんの小さな頃に住んでいた田舎に着く。
「秘密基地」にしていた納屋なら、このクーパーを隠しておける。
誰にも見られず、安全に。
少し距離はあるけど、電車の駅までは歩こう。
そこからなら、自宅へ直接帰れる。祖父には公衆電話で連絡して、ひとりで
帰ってもらおう。
言い訳は、何とかなる。
もちろん、そんなには隠し通せない。
引き延ばしても、せいぜい2、3日だ。
それでも、いい。
明日になれば、何かが変わるかもしれない。
事情が変わって、見つからないで済むかもしれない。
明日まで、待てば。
心の中で自分に言い聞かせながら、レーニィはひたすら走っていた。
すれ違う相手もいない、寂しい街道を。
日は、少し傾き始めていた。
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『クーパーを、置いて帰る?』
「そう。ごめんねー。」
つとめて明るい声で、レーニィは受話器に向かって言う。
駅前の公衆電話。
チケットを買った彼女は、別宅で待つ祖父に電話をかけていた。
「ちょっと遠くまで来過ぎちゃっててさ。今から戻るとなると、暗くなるかも
知れないから、このまま電車で家まで戻るね。」
『それはいいが、クーパーはどうした?』
「うん。駅前に公営パーキングボックスが一軒あったから、そこに預けたよ。
そっちの方は大丈夫。」
『分かった。それじゃあおじいちゃんも家に戻るとしよう。パパたちはまだ
帰ってないだろうが、お前もできるだけ早く戻りなさい。いいね?』
「はあい。じゃあ、また後で。」
『ああ。気をつけてお帰り。』
受話器を置くまで、祖父の口調には疑念のかけらもなかった。
その事実に、レーニィは今までとは別の意味でのため息をつく。
嘘をついてしまった。
公営パーキングボックスは、確かに目の前で営業している。
しかし、クーパーはそんなところに預けられるような状態ではない。
ホコリの積もった納屋の奥に、かび臭いシートをかけられて眠っている。
修理をすることすら、不可能だった。
お金がない以上に、あの34型は、すでに生産終了して久しいからだ。
もはや金型が残っていないため、パーツ発注ができない。
専門業者に頼めば何とか用意してくれるだろうが、それには一般的なクーパー
数台分の費用と長い作業期間が必要になる。
どのみち、事故を起こした事を隠し立てするのは無理だ。
どこかに、そっくり同じものでもない限り。
....
同じ車種、ではない。同じものだ。
祖父ほどの愛好家ともなれば、車体についた傷などはしっかりと憶えている。
とすれば、たとえ同じ車種が見つかったとしても、見抜かれてしまうだろう。
神さまが、同じものをもたらしてくれるか。
あるいは、事故を起こす前まで時間を戻してくれるか。
あるいは…
そこまで考えたレーニィは、もう一度ため息をついて首を振った。
そんな事が、あるわけがない。
だいいち、悪いのは自分だ。
わざとではないにせよ、祖父の大切にしていたものを壊してしまった。
責任は、取らないといけない。
だったら、こんな嘘を重ねて何になる?
正直に言って、謝った方がよっぽどいいのではないか?
反省は、してる。
もう、危ない運転は絶対にしない。
この先ずっと、安全運転を心がける。レーサーになりたいなんて言わない。
だから、許して欲しい。
言った方がいいのは、分かっている。
頭では、充分に分かっている。
だけど…
明日まで、待とう。
とにかく、明日までは待とう。
顔を上げたレーニィは、発車時刻が近付いた列車の乗降口へと歩いていった。
15歳。
大人の入口。
大人の責任を、自分で果たさないといけない年齢。
早く大きくなりたいと、ずっと願っていたけど。
「…大人って、重いなあ。」
ぼそりと呟くその声は、甲高い発車のブザーにかき消されていった。
====================================
次の日は、本格的な雨になった。
窓を叩く雨粒の向こうに、外の景色が暗くかすんで見える。
運転など、どだいムリな天候だった。
もちろん、クーパーの隠し場所はずっと遠いから、晴れているかも知れない。
駅まで行けば、電車は走っている。
しかし、出来ればそれは避けたかった。
「駅前のパーキングボックスに預けた」と言った以上、祖父と一緒に駅までは
一緒に行くしかない。で、クーパーに相乗りして別宅に戻るというのが普通に
考えられる手順だ。
行った時点で、嘘がばれてしまう。
場所を偽ったのは別にいいとしても、なぜそう言ったのか問い詰められる。
そうなれば、事故の事を黙っておくわけにはいかなくなるだろう。
自室の机に突っ伏して、レーニィは深いため息をついた。
やっぱり、昨日ちゃんと言っておけばよかった。
嘘を重ねても何にもならないというのは、分かっていたはずなのに。
雨は、夕方にはやんでいた。
しかし、祖父は今日、ほとんど部屋から出てきていない。
誰か知り合いと通信で話し込んでいるらしく、部屋のドア越しに低い声が
ボソボソと漏れているのを何度か聞いた。
顔を合わせるのも後ろめたいが、こんな風に何をしているのか分からないのも
ちがった意味で心苦しかった。
こんなに長い一日は、生まれて初めてだったかも知れない。
「元気ないわねレーニィ。大丈夫?」
「大丈夫。」
何も知らない母の優しさが、よけいに心を責め苛んだ。
事情を言えば楽になるだろうが、言えるはずもない。
両親に内緒でクーパーを祖父から借り、事故を起こしたなどと。
そんな事を両親に打ち明ければ、間違いなく一生クーパーには乗れなくなる。
どうにもならない、長い長い一日。
八方ふさがりの気分を具現化するかのように、空は日暮れまでよどんでいた。
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翌朝。
嘘のように晴れ渡った空からの陽射しが、明るく部屋に差し込む。
いつも寝坊するのが当たり前のレーニィは、なぜか早々と目を覚ましていた。
窓の向こうに見える青空が、彼女の心を後押しする。
今日こそ、言おう。
正直に告白して、おじいちゃんに謝ろう。
その思いに全く迷いがないのを感じ、レーニィは自分自身に少し驚いていた。
昨日は丸一日、あれほど呻吟していたのに。
どうして今日は、こんなにもしっかりと決断できているのだろうか。
.....
(「昨日」があったからだ。)
着替えを済ませながら、レーニィはそんな考えを巡らせた。
別に、誰に追及されたわけでもない。
疑われてすらもいなかった。
しかし、昨日は自分自身の心にさんざん責め苛まれた。
後悔や自己嫌悪の念は、叱られるよりも重くこたえる。
しかもその思いは、いつまで経っても少しも薄れてくれない。
おそらく、この先もずっと。
こんな思いをずっと抱いているくらいなら、正直に話した方がいい。
それは、理屈なんかじゃない。
自分自身の心が、そうした方がいいとはっきり感じているからだ。
大好きな家族だからこそ、こんな風に裏切るのはよくない。
たとえ罰を課せられようと、それはきちんと受けなくてはいけない。
「一生クーパーに乗るな」とは、たぶん言われないだろう。
少し、大げさに考え過ぎたかも知れない。
そしてもし、実際にそう言われたとしても。
きちんと反省の姿勢を見せれば、いつかは許してくれるかも知れない。
きちんと、反省さえすれば。
意を決したレーニィは、ドアを開けるとキッチンへと向かった。
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「ねえ、おじいちゃん。」
「……」
「おじいちゃん、ってば。」
「ん?ああ、すまんすまん。どうした?」
キッチンに据え付けられた大テーブルに、レーニィと向き合って座り。
珍しく考え事をしていたらしい祖父は、あわてて顔を向けた。
「クーパーの事なんだけどね。」
「ああ。取りに行くのかい?」
「…う、うん。」
いささかためらいがちに、レーニィは頷いてみせる。
両親は早い時間に出かけてしまっているが、やはり言うのは勇気が要った。
「ご飯が済んだら、すぐに行こうと思ってるんだけど…おじいちゃんは?」
「わしはちょっと用事があるから、そんなにすぐには行けないなあ。」
言いながら視線を上げ、祖父は柱時計を見やった。
「夕方くらいには、あっち(別宅)の方へ行こうとは思っているがな。」
「そうなの。」
ぼそりと応えたレーニィに視線を戻し、祖父はちょっと笑ってみせる。
「だから、あっちの方へ早く行くというのなら、しばらく乗っててもいいぞ。
合鍵は渡しとくから、先に帰って待ってても構わないよ。」
言いながら差し出された大きな鍵を、レーニィはためらいがちに受け取った。
「…あ、ありがと。」
「なあに、お安いご用だよ。」
もう一度笑って見せた祖父は、食器を片付けるとそのまま自室へ引っ込んだ。
ぽつんと後に残されたレーニィは、冷めかけたお茶をズズッと啜る。
タイミングを逃してしまった。
しかし、これでいいのかも知れない。
この場で「壊した」と言えば、どんな状態なのかが説明できない。
それにこれなら、向こうへ行く途中もずっと気まずい思いをしなくて済む。
乗って帰って、そこで打ち明けよう。
たぶん、それがいちばんいい道であるはずだ。
何とか自分を納得させ、レーニィは残りのお茶を飲み干す。
その味には、やはりいつもとは違う苦味が感じられた。
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次の停車駅を示す表示が切り替わると同時に、レーニィは少し身を竦ませた。
朝が早い事もあって、電車内は空いている。
車窓から射し込む陽射しは、少しずつ角度を変えつつあった。
もうすぐ着く。
なおもためらう気持ちを振り切るかのように、レーニィは朝食を済ませると
勢いで家を出て電車に飛び乗った。
祖父は、相変わらず部屋にこもったままらしい。
気持ちのどこかにためらいがあろうと、今日中に決着をつける。
そう決意してはいたものの、やはり電車に乗っている時間は長く感じられた。
実際に、乗車時間は長い。弱音が湧き出てくるのには充分だ。
だけど、もうここまできたら後へは退けない。
15歳になったんだから、もっとしっかり責任とは向き合わないと。
駅で停車し、ドアが開くまで。
同じ事を何十回も反復していたレーニィは、覚悟を決めて電車を降りた。
見上げた空は、どこまでも晴れ渡っている。
駆け抜ける風も暖かい。
皮肉なくらいの、ツーリング日和だった。
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クーパーを隠している場所は、駅からかなり離れた辺鄙な場所にある。
駅前の売店で買い求めたジュースをちびりちびりと飲みながら、レーニィは
ひと気もまばらな道をゆっくりと歩いていた。
昨日の雨で、落ち葉はさらに増えている。
沿道の木々の色が、季節の移ろいを感じさせていた。
「…おじいちゃん、来るのは夕方だって言ってたっけ。」
空に目を向けながら、レーニィがポツリと呟く。
早く来て欲しいと、願う一方。
やっぱり、気が進まないという思いも多分にある。
自分は、そんなに強くも潔くもない。
どんなに気持ちを奮い立たせても、足取りはすぐに重くなった。
やだなあ。
行きたくないなあ。
怒られるの、やだなあ。
…でも、行かないとなあ。
とぼとぼと歩くその周りには、もう誰もいなくなっていた。
もともと田舎町であるせいか、人の気配は感じられない。
ただ、木の葉の擦れ合う音と、鳥の声だけがあちこちで響いている。
かれこれ、一時間も歩いただろうか。
大きな曲がり角に差し掛かったレーニィは、そこで小休止を入れた。
残り少なくなっていたジュースのビンを、のろのろと口元に運ぶ。
一気に残りを飲んでしまおうと、口を開けた瞬間。
「………!?」
突然、ドカンという轟音が響いた。
地面を根こそぎ揺さぶるような振動がびりびりと体に伝わり、周囲の木々が
いっせいに震えて葉を落とす。その梢からは、無数の鳥が飛び立った。
もちろん、衝撃はレーニィにも容赦なく襲い掛かっていた。
思い切り揺さぶられた体に、ビンから飛び散ったジュースが撥ねる。
かろうじて立ってはいられたものの、内臓が裏返るような感覚を味わった。
「キ、キャーっ!!」
悲鳴を上げたのは、衝撃が通り抜けた後だった。
すべては、一瞬だったらしい。
固く閉じた目をおそるおそる開けたレーニィは、こわごわ周囲を見回す。
さいわい、特に世界が滅んだ様子はなかった。
自分も生きている。服は濡れていたけど、怪我をしている様子もない。
落としてしまったジュースのビンも、割れずに足元に転がっていた。
「………………な、なにごと?」
耳の奥に、轟音の余韻がまだ残っていた。
どちらかというと、右耳の方がダメージが大きい気がする。
という事は、轟音と衝撃は右側、つまりこれから向かう道の向こうから来た、
と考えられる。
「え!?」
とっさに振り向いた、視線の先。
あまり背の高くない街路樹の向こう側に、黒煙が立ち昇るのが見えた。
それを目にすると同時に、レーニィは弾かれたように走り出す。
恐怖は、いつの間にか消え去っていた。
あの方向。間違いない。
あっちにあるものといえば…
====================================
無惨としか、言いようがなかった。
すべてが焼き尽くされ、崩れ落ちている。
小さな頃から見慣れていた建物は、すでに焼け焦げた瓦礫の山と化していた。
呆然と立ちすくんでいたレーニィの傍らで、塀の一部がガラガラと崩れる。
その音で我に返ったレーニィは、あわてて視線を焼け跡の右奥に向けた。
秘密基地と呼んでいた納屋は、どこにもなかった。
まだ熱を帯びている焼け跡をおそるおそる歩き、何とかその跡地へ向かう。
と、その瞬間。
すすにまみれた靴が、何かの破片にぶつかった。
あやうく転びそうになったレーニィが、つんのめりながらも態勢を立て直す。
そのままの姿勢で見つめた、足元の破片。
焼け焦げ、ひしゃげてはいるが、間違いなかった。
おととい、何度となく握りしめたもの。
34型プレミアモデルクーパーの、右ハンドルだった。
落ち着いて見回せば、心当たりのある破片があちこちに見受けられる。
あれは、シートの一部。
あれは、エンジンスイッチ。
あれは、スタンドロックのバネ。
クーパーは、建物といっしょに木っ端微塵に粉砕されていた。
「………おじいちゃん……」
ここへ来るまでに。
色々な結末を、さんざん想像していた。
怒られ方も、そして、謝り方も。
それから先の、自分自身の身の振り方までも。
しかし、こんな事態は予想だにしていなかった。
というより、自分の想像できる領域をはるかに超えている。
レーニィはただ、凄惨な焼け跡で立ち尽くすしかなかった。
消防隊のものと思しき車の音が、はるか遠くから響いてくる。
しかしレーニィは、その音に気付きもしなかった。
思考が、混乱を通り越してほとんど麻痺している。
そんな状態では、もっと近くの音にさえも気付くことは出来なかった。
背後の木立ちを揺らしながら上昇し、一気に空へと昇っていく白い機影。
ウィンザーの存在にさえも。
====================================
日は、すでに傾いていた。
警察の取調室の窓からも、茜色の陽射しが淡く差し込んでいる。
ほどなく、静寂を乱す足音が近付き、慌ただしくドアが開けられた。
その音に、毛布を被って椅子に掛けていたレーニィが顔を上げる。
向き直った瞳に映ったのは、うろたえた祖父の顔だった。
「レーニィ!」
「お、おじいちゃん…」
かすれた声で応え、レーニィは笑みを返そうと試みる。
しかし、こぼれたのは涙の方だった。
緊張の糸が切れたかのように、レーニィは泣き出した。
「…ガス・ペスタロサ様ですね?」
歩み寄ってその体を抱きしめる祖父に、傍らにいた女性の警官が声をかける。
「お孫さんに、間違いありませんか。」
「ああ。」
泣きじゃくるレーニィの頭を撫でながら、祖父―ガスは低い声で答えた。
「お怪我はないようです。少し、ショックを受けられたようですが。」
「そうですか。」
言いながら、ガスはその女性警官に顔を向ける。
「…今回の件については、聞いておられるか?」
「ええ。」
入り口の方をちらりと確かめてから、女性警官はそっと頷いた。
「…広域管制官と当方の上官から、事情はうかがっております。バード星の
特務隊が来たという情報も、確認済みです。」
そこまで言った女性警官は、息をついてさらに声を低くする。
「偽装工作については聞いておりましたが、人の住んでいる地域ではないし、
あまり大げさな規制はしない方がいいという判断でした。まさかあの場所に
お孫さんがおられるなどとは予想外で…」
「いや、そうでしょう。わしも思ってもみなかったから。」
ようやく泣き止んだレーニィをそっと離し、ガスはその背を軽く叩く。
「レーニィ、お前どうしてあそこにいたんだい?」
「…それは……」
言いよどむレーニィに、ガスは励ますように笑顔を向けた。
...........
「大丈夫。お前があれをやったのではないという事は、わしもこの警官さんも
ちゃあんと分かっているよ。だから心配しなくていい。話しておくれ。」
その言葉を裏付けるかのように、女性警官も笑みを浮かべて頷く。
レーニィの反応を確かめ、ガスはもう一度問い掛けた。
「どうしてあそこにいたんだい?…お前、確か駅へクーパーを取りに行ってた
はずじゃなかったのか?」
「…ごめん、おじいちゃん。」
顔を伏せたまま、レーニィはポツリと詫びる。
「おととい、電話で嘘を言ったの。心配させたくなかったから。」
「嘘?」
「うん。」
頷いたレーニィの視線が、ようやく祖父に向けられた。
「あの時駅にいたのは本当。けど、クーパーはパーキングボックスじゃなくて
別荘の納屋に停めておいたの。あそこまで行って、そこから駅まで歩いて。
それで今日、あらためて取りに行ったら…」
その言葉を聞いたガスの顔に、かすかな狼狽の色が宿る。
「…そ、そうだったのか。あの34型を…。」
「ごめんなさい。」
レーニィの声は、またも泣きそうな響きになった。
再び顔を伏せ、膝の上で両手をギュッと握りしめる。
「ちっちゃな頃から、あそこの納屋は秘密基地にしてたの。それで…」
「いや、いいんだよ。」
声を詰まらせたレーニィに、ガスは笑顔を向けた。
明らかに泣き笑いの表情でありながらも、優しく孫の肩に手を置く。
「…確かにちょっと残念だが、クーパーの代えなどいくらでもある。しかし、
お前の代わりはおらんからなあ。怪我がなくて、何よりだったよ。」
「ごめんなさい。これから、もっと気をつけるから。」
「なんのなんの。本当に無事でよかったよ。」
少し大げさに手を振る祖父の姿に、レーニィはようやく笑みを浮かべた。
"ちょっと残念だが”
そのひと言が、救いだった。
それは大切なコレクションを失ってしまった、祖父の本音なのだろう。
本音を、きちんと自分に言ってくれた。
ただ許すだけではなく、きちんと大人としての本音を見せてくれた。
自分にも責任があるという事を示してくれたのは、初めてかも知れない。
きちんと、責任を感じられる大人としての扱いなのだろう。
ただの孫ではなく、ひとりの人間として。
ごめんね、おじいちゃん。
そして、ありがとう。
心の中でせいいっぱい叫ぶ、レーニィの横顔を。
窓から射す夕日が、赤く照らし出していた。
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「…ねえ、おじいちゃん。」
「何だい?」
夜の帳が下り、空には星が出始めていた。
電車を待つホームで肩を寄せ合いながら、レーニィは祖父に問い掛ける。
「あの別荘、ホントにおじいちゃん自身が爆破したの?」
「…うーん、正確に言うとちょっと違うんだが…まあ、そうだよ。」
「どうして?」
レーニィは、なおも問い掛けた。
問わずにはいられない疑問が、胸の中にとぐろを巻いている。
あまりにも不可解だった。
てっきり過激なテロリストか何かによる犯罪だと思ったが、警察署ではみんな
事情を知っているかのように冷静に対応していた。
唯一あわてたのは、現場に自分がいたという事実に関してだけだ。
廃屋とはいえ個人の邸宅が爆破されたというのに、その後の処理はあまりにも
彼女の予想と違っていた。
そして祖父も警察官たちも、くわしい事に関しては説明してくれていない。
このままでは、納得のしようがなかった。
「…少し、説明するのは難しい事なんだよ。」
言葉を選ぶように、ガスはゆっくりと続ける。
「確かに、起こった事は理解しがたいかも知れない。だがこれだけは言える。
あれは、大いなる平和のために必要な事だったんたよ。」
「大いなる、平和?」
「ああそうだ。少なくとも、34型クーパーに釣り合うくらいの価値はある。
だからお前も、気に病む必要はないよ。…ただ、もう嘘はいかんぞ?」
「うん。」
即答したレーニィは、ことさら大きく頷いた。
「…やっぱり、秘密にしとかないといけないことがあるんだね?」
「まあ、そういう事だな。お前も一人の人間として、そこは酌んでくれ。」
「分かった!」
元気に応えたレーニィの顔に、心からの笑顔が浮かぶ。
そう。
大人なら誰でも、秘密があるものなのよね。
あたしも、秘密を背負う事になるけど。
だけど、それに見合うだけの責任も背負うつもりだから。
だから安心してね、おじいちゃん。
これで、お互いさまだね。
「うん?…何か言ったか?」
「ううん、何にも!」
明るい声で応えたレーニィの瞳に、電車のライトの光が映り込む。
ホームに車体が滑り込んだと同時に、風が舞い上がった。
「さ、帰ろうか。」
「うん!」
ドアが開くと同時に、レーニィは祖父の手を引いて元気に駆け込む。
車内照明の明るさが、少しだけ目に沁みた。
何だか、思いもかけない結末だったけど。
だけど、大切な事は忘れないよ。
自分の行動には、責任を持って向き合える心。
それこそが、大人の証し。
しっかりと自分の事は見据えて、これからも前を向いて生きる。
見ててね、おじいちゃん。
宇宙の彼方で、大いなる誓約が再び成されようとしている頃。
ザカル星の少女レーニィの心にも、小さな、そして確かな誓いが生まれた。
彼女だけの、自分への誓約が。
走り出した電車のはるか頭上で、星々は静かに輝き始めていた。
================【完】=================
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◆関連エピソード…『もうひとりの賢人』◆
◆レーニィ・ペスタロサ◆
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