第七章:8月

〜ルドルフの美学


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アフリカ大陸中部。

赤道直下の国タンザニアにそびえる大陸最高峰、キリマンジャロ。
その頂には、氷河さえもが存在する霊峰。


頂上近くに広がる殺風景な原野に、1脚のちっぽけな椅子が置かれていた。
その椅子には、相応しいサイズの少女―クローネが身を固くして座っている。

少し離れたところに座るルドルフは、チーズを肴にしてワインを味わっていた。

風も凪いだその空間に、乾いた沈黙が流れる。


次の瞬間。

空気を裂くような高い音と共に、椅子に腰掛けたクローネの右サイドから
小さな白い物体がものすごいスピードで飛んできた。

そのまま直撃するかのように見えた物体は、正面を向いたままのクローネの
ほんの50cmほど前を横切っていく。ほとんど、目の前と言っていい近さだった。

通過の瞬間。
じっと意識を集中していたクローネが、不意に左手を素早くかざした。
広げた手のひらに、その白い高速物体が直撃する。

同時に、バチンというすさまじい音が周囲に響いた。
苦痛に顔を歪めながらも、クローネはその物体―硬式ボールを掴んでいた。
手のひらとの摩擦でかすかな煙が上がったのが見てとれる。

しばし声を殺して痛みに耐えたクローネは、やがて顔を上げた。
そのまま、傍らに置かれた青いポリバケツにボールを投げ入れる。
大きなバケツの中には、すでに半分ほどボールがたまっていた。

「どうした?まだそんな程度かよ。せいぜい時速700キロだぜ、今の速度は」

「700キロって……」

気のない言い方をするルドルフに、手首を押さえたクローネは少し恨めしげな
視線を向けた。かすかに震える左手は、真っ赤に腫れ上がっている。

「メジャーリークのピッチャーが投げる剛速球の4倍以上のスピードですよ?」

「だから何だってんだよ。」

「だから!」

そっけなく応えてワインをあおるルドルフの態度に、クローネの声は尖った。
椅子から立ち上がって歩み寄り、痛々しく腫れた手をかざしてみせる。

「せめてミット使わせてくださいよ。このままじゃ手の骨が砕けますから!」

「だからダメだって言ってんだろが。それじゃ特訓になんねえんだよ。」

「…………。」

唇を噛んだクローネは、そのまま後の言葉を呑みこんだ。

納得したわけではない。
しかし、自分には暴力を振るってしまったという負い目がある。

もしかしたら、これは遠まわしな仕返しなのかも知れない。
だとしたら、甘んじて受けなければならない。

たとえ、理不尽な内容の修行だったとしても。


重い沈黙に、ルドルフは小さなため息をついてグラスを置いた。

「…ま、今のお前の状態じゃあすぐに上達しろったって無理だな。
とりあえず、ここらでいったん休憩だ。飯にしようぜ。」

言い置いて立ち上がったルドルフが、中腹に停泊させていた
ライトニングカリブーの方へと歩み寄っていく。貨物コンテナが
外されたそのボディは、ずいぶんと頼りなく見えた。

「早く来い。お前も手伝うんだよ!」

「…はーい。」

明らかにテンションの低い声で応え、クローネはようやく駆け出す。
正午過ぎの陽射しが、乾いた大地に影を落としていた。

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ずらりと並んだおにぎりを、ルドルフとクローネはひたすらに頬張る。

空気が薄いせいか、やたらにお腹は空いていた。
食べながら、クローネはアイシングした左手をちらりと見やる。

2日前にここに来てから、酷使のし通しだった。

恐るべき速球を飛ばす、特別仕様のピッチングマシン。
そのボールの軌道に対して平行に座り、目の前を通過する
硬式ボールを素手でキャッチする…という修行内容。

最初の日は、その速さに対する恐怖で手も出せなかった。
しかし、ずっとやっているうちに速さには慣れた。

次の日の午後には、初めてキャッチに成功した。
しかし、当たり前の話だが素手で捕ると凄まじく痛い。

人間なら、手首ごと持っていかれるほどの衝撃。
それを100球以上受けている手は、すでに悲鳴を上げていた。


「…あの、先生。」

「何だ?」

「ちょっと質問なんですけど。」

言いながら、クローネは舌を伸ばして唇の上についたご飯粒を舐め取った。

「…この修行って、いったいどういう意味があるんですか?
それに、何だってわざわざアフリカまで来たりするんです?」

「ああ、その事な。…ちゃんと説明した方がいいか?やっぱり。」

「できれば…。」

遠慮がちに答えたクローネに小さく頷き、ルドルフは沸かしたてのお茶をすする。

「よし。じゃあ話してやろう。…えー、むかしむかしある所に…」

「え、そんな段階からですか?」

「黙って聴け。」

怪訝そうな表情を浮かべるクローネを制し、ルドルフは少し姿勢を正した。
何となく講釈を聴くような気分になったクローネも、膝を抱えて向き直る。

「いいか?じゃあ聴け。これは朝鮮に伝わるお話なんだけどな。」

―――――――――――――――――――――――――

むかしむかしある所に、”り”という名前の強い大将がいた。

―まあ、どのくらい強いのかはよく分からねえけどな。

ある時大変ないくさがあったが、”り”はそれにも勝利した。
そして、川のほとりで家臣たちと祝い酒を酌み交わしていた。

そこへ、みすぼらしいなりをしたじじいがひとり、黒い牛に乗って
のんびりと現れた。勝ち戦の将である”り”には目もくれずに
ゆうゆうと通り過ぎようとするじじいに、”り”の家臣は腹を立てた。

「まてじじい!”り”大将にご挨拶をしていかんか!!」

そう叫んだ家臣は、馬に飛び乗ってじじいの後を追いかけた。

しかし、どういうわけかその家臣はじじいと牛に追いつけない。
相変わらずじじいはのんびりと牛の背に揺られている。

これを見た”り”大将は言った。

「不思議な事じゃ。もしかするとあの家来は、人一倍のろまなの
かも知れぬな。…よし、今度はわしが追いかけてみよう。」

そう言うや否や、”り”大将はもっともよく走る馬に飛び乗った。
バシッと鞭をくれると同時に、馬は風のような速さで走り出した。
”り”将軍は駿馬を駆り、じじいの後を追いかけた。

けれども、すぐ目の前を行くじじいにはどうしても追いつけない。
相変わらずじじいは野の花や景色などに目を向けながら、
のんびりと牛の背に揺られているだけだというのに。

結局、”り”は山のふもとの村に着くまで、一度たりとも
じじいと黒い牛に追いつく事は出来なかった。


―――――――――――――――――――――――――


「…それで?」

言葉を切ったルドルフに、クローネはぐっと身を乗り出した。

「そのおじいさんはどうなったの?」

「あー…それはまあ、この後も展開はあるんだけど…別にいい。」

「え?何でですか。途中じゃないですか!」

食ってかかるクローネに、ルドルフは小さく手を振る。

「話の中で重要なのは、この部分だけなんだよ。全速力で駆ける馬が、
のんびり歩いているはずの老人と牛に追いつけなかった…っていうくだり。」

「どう重要なんですか?…もしかしてその人って、あたしのおじいちゃん!?」

「違う違う。そうじゃない。」

あっさりと否定したルドルフは、もうひと口お茶をすすった。

「このじじいはいわゆる”仙人”だ。」

「仙人…?」

「そう。『アクセルセンス』を習得した超人の一種だよ。」

「何ですか?その…」

「アクセルセンス、だよ。」

言い置いて、ルドルフはにやりと牙をむき出して笑った。

「この修行で、お前が身につけるべきもんだ。」


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「…つまり、超スピードって事ですよね。でもあたしは…」

「違うってばよ。最後まで聞け。」

ぴしゃりと言い放ったルドルフは、少し口調を改めた。

「アクセルセンスってのは、自身の”全て”に加速をかける…つまり
何もかもを速くするっていう超感覚なんだよ。」

言いながら、クローネの足元にちらりと目を向ける。

「確かにお前のトップスピードはミサイルにも匹敵する。だけどな、
それはあくまでも『全速力で走ってる』という事に過ぎないんだよ。
いくらそのスピードが速いとしても、それじゃサンタにはなれねえ。」

「スピード不足って事ですか?」

「いや。そういう次元の問題じゃねえんだ。」

首を振ったルドルフは、再び視線をクローネの顔に向けた。

「マッハ12のスピードで駆け抜けて他人の家に飛び込んだとしたら、
どうなると思う?衝撃波で、家は丸ごと木っ端微塵だ。もちろん、
プレゼントを待ちわびてる子供もそのままあの世往きになっちまう。
走るだけなら超スピードで充分だが、家に忍び込んで枕元にそっと
プレゼントを置くなんていうデリケートな行為は、アクセルセンスを
習得できてない奴にはどうやったって不可能なんだよ。」

「…それって、どういう風に違うんですか?」

眉間にしわを寄せながら、クローネは訝しげに問いかけた。
話している内容が漠然とし過ぎていて、理解には程遠い。

それを察してか、ルドルフがちょっと視線を泳がせる。
言葉を探すかのような、短い沈黙ののち。

「…つまりだな。」

一言一言確かめるように、ルドルフはゆっくりと説明を始めた。

「自分自身を加速させるということは、逆に言えば自分以外の
世界の全てが『ゆっくり』になる、っていう事なんだよ。その中では
たとえのんびりと歩いていても他の人から見れば超高速になる。
そのゆっくりの世界の中でなら、いろんな事ができるようになる。
一瞬で鍵を開けたり、家の中を気付かれずに移動したりな。」

「ゆっくりの世界、ですか。」

「そうだ。あの「時写しの術」は選ばれた者…つまりお前とじじいにしか
できない能力だが、アクセルセンスは感覚を持った生き物だったら
誰にでもできる可能性がある。さっきの話の、仙人と黒牛もそうだ。」

ちょっと言葉を切ったルドルフの手が、転がっていたボールを掴み上げる。

「聞いた事ねえか?交通事故や転落事故に遭って九死に一生を得た
人間が、その瞬間に時間がものすごくゆっくりになったように感じた、
って後で語ってるのを。あれは極限状態になった感覚が、一瞬だけ
アクセルセンスの領域にまで達していた、っていう事例なんだよ。」

言いながら、ルドルフは手の中で弄んでいたボールをポンと
投げ渡した。不意を突かれたクローネは、あわてて両手で受ける。
いきなり動かしたせいで、左手にまた痛みが走った。

「超一流のスポーツ選手とかになると、鍛えぬいた感覚が土壇場で
センスを発現する事がある。野球選手がボールがゆっくりに見えるとか、
ボクサーが相手のパンチをはっきり見ることができるとか言ってる、
アレだよ。人間にだって、そのくらいの事だったらできるんだ。」

「…じゃあ、あたしにも?」

「お前なら、そんなレベルじゃねえ。もっとできるはずだ。」

いささか語気を強め、ルドルフはクローネを見据える。

「人間は、どんなに頑張っても『感覚』止まりだ。周囲が遅く見えても、
実際にその速度に対応して動く事はできない。だけど俺たち妖精なら、
自分の感覚と身体能力すべてにアクセルをかけて、本当に世界を
スローモーションにする事ができるんだよ。だからこそ、お前のじじいは
あんなにのんびりとソリを駆りながら世界中を巡る事ができるんだ。」

「………なるほど…」

ボールをじっと見つめながら、クローネは低い声で呟いた。

確かに、納得できる話だった。
クリスマスイブの夜空に、悠然と舞い上がるトナカイのソリ。
あんなゆっくり飛んでいて、世界中にプレゼントなんて配れるのだろうか。

ほんの幼い頃から、ずっと疑問に思っていた事だった。

しかし、ルドルフの言う『アクセルセンス』というのが実在するなら。

おじいちゃんもトナカイたちも、みんなそのセンスを発現していたのだろう。

…という事は、目の前にいるこの人も?

「…あの……」

その事を、ルドルフに問おうとして口を開いた刹那。


不意に、奇妙な気配を感じた。
表情を険しくしたルドルフとクローネは、ほぼ同時にパッと視線を岩場に向ける。

一瞬の沈黙を置き。

大きな岩の影から、背の高いひとつの影が姿を現した。
その姿を目にしたクローネの顔に、恐怖の色が浮かぶ。

どう見ても、人間ではなかった。

さらに言うなら、この星のどの生き物とも違う存在だった。
奇怪さと、それ以上の禍々しさを感じさせるその姿。

しかし、知的生命体である事は確かだった。

「…誰だ、てめえは?」

怯えるクローネを背にかばい、ルドルフは押し殺した声で問いかける。

言葉が通じるかどうかの不安は、杞憂に終わった。
ゆっくりと開いた相手の口から、意外なほど明瞭な言葉が流れる。

「初めまして。私の名はオロ・ナグラッシュ。」



どこか、機械めいた声だった。おそらく、翻訳機を介しているのだろう。

「お目にかかれて光栄です。ミスター・ルドルフ。そして、ミス・クローネ。」

自分たちの名を口にした相手に、2人はいっそう警戒の表情を強めた。
丁寧な挨拶のあと、相手は口の端をかすかに吊り上げる。

笑っているつもりらしい。


しかし、その表情にはどこまでも禍々しさが満ちていた。


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「何の用だ。」

「まあ、そう殺気立たないで下さいよ。」

険しいルドルフの声に、「オロ」と名乗った怪人は肩をすくめてみせた。

「私はドローラ星という星から来ました。宇宙の交易商を営んでおります。
この度、この地球に商業ルートを開拓しようかと思い立った次第でして。
そこで、地球をよく知るあなた方にご挨拶しようと考えたわけですよ。」

オロの口調は、あくまでも丁寧で紳士的だった。
少し警戒を解いたクローネは、ルドルフの背後から出ようとする。

「そこにいろ。」

そんなクローネを、意外に強い力でルドルフの手が押し留めた。

「…?」

「交易商って言ったな?えーと…ドローラ星人。」

「ええ。そうです。」

「嘘だな?」

相手の顔を睨み据えながら、ルドルフは断言する。
取り付く島のないその言い方に、オロの表情はかすかに引きつった
異様な緊張に満ちたその場の空気に、クローネは再び身を固くする。

「嘘、とは?」

「だてに長生きしてるわけじゃねえんだぜ、俺は。これまでに、
お前みてえにうさん臭い奴はいろいろ見てきたんだ。交易だの
何だのとうそぶく奴は例外なく、同じ素顔を持ってたんだよ。」

「…先生、それって…?」

うわずったクローネの声を背中で聞きながら、
ルドルフはオロに指を突きつけた。

「お前の持ってる空気は、略奪者のもんだ。お前、海賊かなんかだな?」

その一言に、緊張はいっそう高まった。
危険な色を湛えた、数秒の沈黙を置き

「……ほう。これはご明察ですね。さすが、噂に高いだけの事はある。」

言いながら、オロはもう一度口元を歪めた。
さっきよりもさらに陰湿な表情に、クローネは思わずルドルフの背に手をかけた。

「そこまで分かっておられるのなら、話は早いですね。」

あくまでも、丁寧な話し口調。
しかし、そこにはどこか恫喝のような響きが感じ取れる。
もう一度軽く肩をすくめ、オロは少し姿勢を崩した。

「…まあ、何と呼ばれるかはあまり気にしません。略奪者と呼びたければ
それでもいいし、宇宙海賊でも構いません。要は、それを受け容れるか
どうかという事だけなんですよ。あなた方、お二人がね。」

「何だと?」

「失礼とは思いましたが、いろいろと調べさせて頂きました。聖夜に、
世界中の子供たちに夢あふれるプレゼントを配る伝説の聖人。実に
素晴らしい。まったくもって、感涙を禁じ得ませんでしたよ。」

心から称賛しているとは、とても思えない口調だった。
黙って自分を睨む2人を一瞥し、オロは芝居がかった仕種で手をかざす。

「しかし、まことにもって残念ですよ。それほどの能力をお持ちなのに、
そんな報われない慈善事業に己の人生を懸けておられるのは、ね。
……あなた方は、ご存知ないのです。己の持てる、力の大きさを。」

そこで言葉を切ったオロは、不意にその視線をクローネに向けた。
金属球のような目で見据えられ、思わずクローネは身を屈める。

「つらい修行に耐えておられるあなた。あなたにしてもそうですよ。
自分を未熟者だとお思いでしょうが、とんでもない。今のあなたなら、
たった一人で丸ごと制圧できるような星だってあるんです。そして、
それを成したなら、あなたはたちまち神にも等しい存在になれる。
こんなところで鬱屈しているのは、まさに時間の浪費ですよ。」

「………」

返す言葉に窮し、クローネは黙り込んだ。

自分の力が、使い方次第では神にも等しい意味をもつ。
考えた事もなかった。

想像を超えたその仮定に、クローネの頭は混乱した。

「要するに、仲間になれって言いてえのかよ。」

「やはり話が早いですね。」

大げさに肩をすくめ、オロは小さく笑い声を立てた。

「その通りです。あなた方の人智を超えたその能力。そして
あの素晴らしい飛行艇。これが我らと手を組めば、もはや宇宙に
敵など存在しませんよ。欲しいだけ、欲しいものが手に入ります。」

言いながら、オロの指がライトニングカリブーの方を指し示す。
いつの間にか、機体のすぐ真上に大きな灰色の宇宙船が浮いていた。
地上には、オロと同族と思われる工作員がカリブーを取り囲んでいる。

「おい!」

激昂したルドルフは、牙をむき出した。

「人の愛機に気安く触るんじゃねえぞ軟体動物!」

「まあまあ、落ち着いて下さい。今すぐどうこうする気はありませんよ。
だいいち、シールドロックを解除しないと触ること自体無理ですから。」

もはや、目的が恫喝であるのはクローネにもはっきり分かった。
解除しないと無理、という事は、解除さえすれば遠慮なく持っていく
気があるという事になる。それは、自分たちを誘っている事にしても
同じなのだろう。断ったからといって、引き下がる気はないに違いない。

「…あまり、事を荒立てたくはないのですよ。分かって頂けませんか?」

どこまでも丁寧な口調で、オロは続ける。

「正義を通したいというお気持ちは分かりますが、本当の”力”には
正義は自然とついて来るものなんですよ。私たちを悪と呼ぶ前に、
もう一度省みてみませんか?自分たちの力を。そして、自分たちが
いかにその力を無駄に使っているのかを。」

「俺は、正義なんかを標榜してるつもりはねえんだよ。」

切り返すルドルフの言葉は、それでも理性的だった。

「けどお前らに加担する気も、敵対する気もねえ。略奪がやりたいって
言うんなら、よその星で勝手にやれ。それで文句ねえだろ。」

「…なるほど。あくまでも、我々とは相容れないとおっしゃいますか。」

処置なしといった態で両手を掲げたオロは、不意にまた歪んだ笑みを浮かべる。

「…クローネさん。」

「え?」

いきなり名前を呼ばれて面食らったクローネを、オロの視線が捉えた。

「あなたのご実家は、確かノルウェーでしたね?ご家族はご両親に、
弟さんがお一人。名前は……ロミル君でしたか。」

家族の構成を言い当てられたクローネの顔は、驚愕で凍りついた。
むしり取らんばかりに強くルドルフの毛を掴む手から、動揺が伝わる。

「…そ、それってどういう……」

「いえ。大した事じゃないですよ。…大好きなご家族が、
焼け焦げた炭になった様なんかは見たくないでしょう?」

「………!」

「てめえ、こいつの実家に爆弾仕掛けてきたな?」

「相変わらず、ご明察ですね。」

慇懃無礼な言い方で答え、オロは腰のポケットから小さな
装置を取り出した。それを、目の前で軽く降ってみせる。

「これが起爆スイッチです。押すも押さないも、あなた方の…いえ、
ミスタールドルフの返答次第ですよ。…いかがなさいますか?」

「俺を、脅迫しようってのか。」

「そんなストレートな言い方は好きじゃありませんが。」

スイッチを弄びながら、オロは楽しそうに答えた。


張り詰めた沈黙ののち。


「…誰を相手に脅迫してるか、本当に分かってんのかお前ら?
もしロミルの坊主に手を出したら、全員解体してやるぞ。」

「…………」

笑みを消し、オロは黙ってルドルフを睨み据える。
しかし、臆することなく睨み返すルドルフの殺気は圧倒的だった。


スイッチを押した瞬間、全員を解体する。


無言の気迫が、そんな思惟をオロと部下たちに叩きつけている。
余裕ぶっていたオロも、さすがに気圧された。

「……やはり、あなたには懐柔も恫喝も無意味なようですね。」

「分かってるんなら、そのスイッチをよこせ。そして地球から
すぐに出て行け。……そうすれば、俺も忘れてやる。」

かすかに口の端から牙をむき出しながら、ルドルフは
押し殺した口調でオロに言葉を返した。


何度めかの、長い沈黙ののち。


「…分かりました。では、あなたのスカウトはあきらめましょう。」

降参だというように大げさに肩をすくめ、オロはいかにも仕方ないといって口調で
呟いた。身を固くしていたクローネも、ホッと息をついてルドルフの背後から歩み出る。


その刹那。


不意に、3人の頭上に広がる空が歪んだ。
訝しがる間もなく、視界に余るような巨大な飛行物体が一瞬で現れる。

気を呑まれた一瞬。

鈍色に光る鈍重な「足」が、正確に狙いすましたかのように
地上のルドルフ目掛けて打ち下ろされた。



轟音と共に、砕かれた土や土砂が爆発的な勢いで周囲に飛散する。
その飛沫の中に、真っ赤な鮮血が混じってはね飛んだ。

「きゃああああッ!!」

理解を超えた一瞬の出来事に、クローネは悲鳴を上げる事しかできなかった。
至近距離で衝撃をもろに喰らった体が、真横に弾け飛んで転がる。

それでも何とか体勢を立て直して立ち上がった、クローネの目に。
これまで、想像すらしていなかったもの。
そして、認めることすら恐ろしい現実が映り込んだ。


見上げる視野いっぱいにそびえ立つ自律機動兵器、アルティメットガンナー・11。
氷のように冷たい目で自分を見据える、オロとその仲間たち。

そして、地面にめり込んだガンナーの足の下に広がる血痕。

そこには、ほんの数秒前までルドルフが立っていた。
自分を、その丸い背の後ろにかばいながら。

服の袖に、飛び散ったと思しき赤い飛沫のシミがついていた。

へたり込んだまま、クローネは呆然と口を開いた。

「………せ、先生…」

「残念ですねえ。こんな結果にしかならないというのは。」

悲しげな口調で、オロはゆっくりとクローネに声をかける。

「私としても、こんな野蛮な事はしたくなかったんですが。…しかし、どうにも
あなたの先生は頑固だ。あれでは他人との協調などは望めないでしょう。
我々は、すべてを手に入れようなどと考えるほど欲深くはありませんからね。」

「…どういう意味?」

うわずったクローネの問いに、オロはまたも大げさに肩をすくめる。

「あなたとルドルフさんとあの飛行艇。それが我々の目的です。しかし、
厄介なものならば排除しておくに越した事はない。とりあえず、あなたと
飛行艇だけでも手に入れられれば充分ですからねえ。」

言葉の裏にある思惟を感じ取り、クローネは鳥肌の立つのを覚えた。


ルドルフ先生が、脅しに屈する事などありえない。
もしかすると、ノルウェーにいる家族を見殺しにして
自分たちと戦うという選択をするかも知れない。

しかし。

彼を殺せば、このあたしを守る人はいなくなる。

そして、あたしが家族を見殺しにできない事は見抜いている。

人質にしておけば、ずっと思い通りにできるという事も。


「…あなたたちは………」

まだ腰が立たないものの、クローネは怒りの念をせいいっぱい言葉に込めた。
しかし、その響きはどこか半泣きのかすれ声にも聞こえる。

案の定、オロたちはいっせいに含み笑いを漏らした。

「まあ、落ち着いて下さいよ。何も、あなたを苦しめようという気はありません。
むしろ、苦行から解放してあげたんですよ?あなたも、彼に文句を言ってたじゃ
ありませんか。こんなつらい修行を続けるのは、もう嫌だって。」

「ちがう……!」

クローネは、かすれた声でぼそりとつぶやいた。

ちがう。

つらいのと、嫌なのとはちがう。
そんな判断を、こんな男に勝手にされたくはない。

先生は……

「先生は」

血が出るほど拳を握りしめたクローネの声は、震えを帯びてはいなかった。

「先生は、あなたたち海賊なんかには負けない!」

一気に言い放ったその目が、オロの顔を睨み据える。
裂帛の気合いに、オロたちはいささか気圧された。

「…まったく。あの師あってこの弟子ありですか?」

少し困惑を帯びた口調で、オロは同意を求めるように周囲の仲間を見回した。

「現実を見る事のできない子供の相手というのは、疲れるもんですねぇ。」


答えは、すぐには返ってこなかった。


わずかな、気まずい沈黙ののち。


「まったく同感だな。」


低く響いた同意の声に、オロははじかれたように振り返った。
その場にいた者たちが、いっせいに注視したその先に。



手の中の金属部品をくるくると弄びながら、ルドルフが立っていた。

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「…貴様、なぜ………?」

明らかに動揺したらしい。
顔を引きつらせたオロの言葉から、丁寧さが消えていた。

「何が「なぜ」なんだよ。」

うるさそうに応え、、ルドルフは手の中の部品を
弾き上げながらゆっくりとクローネに歩み寄る。

「お前、よおく知ってるんじゃなかったのかよ?俺の持ってる力を。
だからここへスカウトに来たって、したり顔で言ってたじゃねえか。」

話し終える前に、ルドルフはすでにクローネの傍らに立っていた。
へたり込んだまま自分を見上げるクローネに、にやりと笑いかける。

「なに腰抜かしてんだよ。俺が踏み潰されたの、そんなにショックだったか?」

「ち、ちがいますっ!」

あわてて否定したクローネは、足を踏ん張って何とか立ち上がった。

「あ…あんな事で先生が死ぬなんて、最初から思ってませんよ!」

「そりゃけっこう。」

からかうように鼻を鳴らしたルドルフが、やがて再びオロの方に向き直る。

「俺を甘く見るなよ。」

さっきより口調は穏やかながら、その声には有無を言わせない響きがあった。

「こんな程度でやられるようじゃあ、サンタクロースのパートナーなんぞ
務まらねえんだよ。くどいようだが、あんまり甘く見るな。」

「………そうですか。」

あきらかに表情が険悪になったオロの口調に、殺気が満ちる。

「しかし、まさか初撃をかわしたくらいで勝ったつもりじゃないでしょうね?
アルティメットガンナーは、あなたが考えるほど甘い相手ではありませんよ。」

「アルティメット…ガンナー?それがこのオモチャの名前か。」

「オモチャかどうかはこれから分かりますよ。嫌というほどにね。」

「そうか。じゃあ、相手してやるよ。」

気のない言い方で応えたルドルフは、その場にクローネを残して
すたすたと歩き出した。そのまま、地にそそり立つアルティメットガンナーと
向き合う格好で立ち止まる。

それを見計らって、オロは腰につけた何かの装置を素早く操作した。

「死ね、チビトナカイめが。」

つぶやいた声は、沈黙の中でルドルフにもクローネにも聞こえた。


沈黙。


それは、駆け抜ける風の旋律さえも聞き分けられそうな沈黙だった。

「………!?」


オロの顔に、再び動揺が走る。

アルティメットガンナーは、微動だにしなかった。

「どうしたよ?ビビらせてくれるんじゃねえのか?」

「…な…なぜだ?」

オロの声は、翻訳機を介してもなおうわずっていた。

「あ、そうそう忘れてたけどな。これやるよ。」

そう言ったルドルフが、手の中で転がしていた金属部品をぽいと放り投げる。
放物線を描いたその小さな部品は、そのままオロの足元近くにぽとりと落ちた。

「…!?」

警戒するように身を引くオロを一瞥し、ルドルフはにやりと笑う。

「心配すんな、爆弾じゃねえよ。ただのパーツだ…「心臓部」のな。」

「心臓部?」

図らずも、オロとクローネの声が重なった。

笑みを浮かべたまま、ルドルフは右手をかざす。

「言ってるだろ?俺を、甘く見るな…ってな。」

ひづめをパチンと打ち鳴らす音が、甲高く響いた瞬間。
乾いた空気に、低い振動が走った。

沈黙していたアルティメットガンナーの外部装甲に、まるで
糸を張ったかのような細い線が無数に走り始める。

装甲板の接合部分である事が、はっきりと見てとれた刹那。

なめらかで機能的な曲線を描いていたそのシルエットは、
轟音とともに崩れ始めた。

爆発でも、切断でもない。

すべてのパーツは無傷だった。
無傷なまま、頑強な機体は何千何万という破片になって落ちていく。

まるで氷の彫像が融けるのを、早回し映像で見ているかのように。


アルティメットガンナーは、地響きを立てながら崩れ落ちていった。



「………!!」

あまりにも圧倒的な光景に、クローネもオロたちも言葉を失った。

「だからこんなもん、俺にしてみりゃチャチなオモチャだってんだよ。」

言い放ったルドルフが、残骸の山と化したガンナーに目を向ける。

「たいそうな兵器なのかも知れねえがな。俺は毎年、一晩のあいだに
世界中の家の”鍵”を開けてるんだぜ。こんなもん、全部の部品を
「開けて」しまえば、この通りガラクタになるってなもんなんだよ。」

「…あの数十秒のうちに、アルティメットガンナーを解体しただと…?」

オロの言葉は、途中でかすれた。

「言ったでしょ?先生は、あんたたちには負けないって。」

さっきまでよりもずっとしっかりした口調でぴしゃりと言い放ち、
クローネはルドルフのもとに歩み寄った。

「調子こいてんじゃねえぞ。半泣きだったくせしやがって。」

「ちがいますよ!」

口を尖らせたクローネが、袖についた赤いシミに目を向ける。

「あたしにだって、血の匂いと赤ワインの香りの違いくらい分かります。
何か策があると感じたから、時間を稼いだんですよ!」

「ほほぉ、それには気付いてたのか。そりゃけっこう。」

軽く受け流したルドルフは、あらためてオロに向き直った。
身を固くしているその顔に、じっとサングラス越しの視線を向ける。

「分かったんなら、黙って起爆スイッチを渡せ。」

拒否は認めないという強い意志が、言葉の響きから感じられた。
爆弾の事を一瞬忘れていたクローネも、ハッと顔を引き締める。

「言わなくても分かると思うが、押す直前に掠めとる事だってできるんだぜ。
だけど俺は、そんな無理やりな力押しは好きじゃねえんだよ。」

その静かな口調は、どこか諭しているようにも聞こえた。

「地球での破壊行為や略奪は許すわけにはいかねえが、よその星でやる事にまで
意見する気はねえ。それなりに、俺の知らないルールや倫理もあるだろうからな。
だから、俺たちの勧誘はあきらめてこのまま宇宙へ帰れ。そうすれば、俺たちも
今日ここであった事は忘れる事にするから。それでいいだろ?」

「………」

どこか釈然としない表情を浮かべ、クローネはルドルフの顔を盗み見た。

ここまでの事をされていながら、どうしてそんな寛大でいようとするのだろうか。
いつもげんこつをもらっている者としては、どうにも納得しかねる。

しばしの沈黙を置き。

「…どうやら、私は見込み違いをしていたようですね。」

芝居がかったため息とともに、オロは例の起爆スイッチをゆっくりと取り出した。
それを、自分と向き合って立つルドルフに投げてよこす。

「残念ですよ。あなた方の、その能力の浪費が。まぁ仕方ない
事なんでしょうけどね。…それでは、ごきげんよう。」

前にも増して丁寧な挨拶を述べたオロは、背後に控えている部下たちに
手を振った。タイミングを合わせるかのように降下してきた宇宙船に、
近くに立っていた者から順番に乗り込んでいく。

最後に搭乗タラップに足をかけ、オロはゆっくりと振り返った。

「言っても同じでしょうが、あえてもう一度言わせて頂きますよ。本当に残念です。」

「もういいって言ってんだろ?このまま別れようぜ。それがお互いのためだ。」

早く行けと促すように言ったルドルフが、かすかに右の眉を吊り上げる。

「しつこいようだが、もう一回だけ言っとくぜ。俺を、甘く見るなよ。」

「充分に承知してますよ。ではこれで。」

芝居がかった礼を残したオロの姿は、ゆっくり閉まったハッチの向こうに消えた。
数秒の間を置き、灰色の宇宙船は音もなくゆっくりと上昇を始める。

そのまま飛び去るかに思われた刹那、その機影は不意に静止した。
同時に、見上げるルドルフの手の中の起爆スイッチが甲高い音を発する。

反射的に目を向けたルドルフとクローネの耳に、
そのスイッチからの通信音声が飛び込んできた。

『ご安心なく、爆弾じゃありませんよ。…それは単なる使い捨ての通信機です。』

「通信機、だと?」

からかうようなオロの声に、ルドルフが怪訝そうな口調で応える。

「どういう意味だ。」

『言ったままですよ。それはただの通信機です。爆弾でも、
遠くに仕掛けられた爆弾の起爆スイッチでもなく、ね。』

訝しげに耳を傾けていたクローネの顔が、その言葉に凍りついた。

これが、起爆スイッチでないのなら。


『そうですよ。』

動揺を見透かしたかのように、オロは含み笑いを漏らす。

『本物のスイッチはここにあります。』

「そ、そんな…!」

悲鳴に近いクローネの声に、通信機の向こうの
オロの口調はますます楽しげな響きを強めた。

『せっかく手間ひまかけて仕掛けたものなんですから、お土産代わりに
押させてもらいますよ。…まあ、恨むならそこの先生を恨んで下さい。』

「てめえッ!!」

叫ぶルドルフの顔に、初めて動揺と怒りの色が浮かぶ。
いっぱいに目を見開いたクローネの顔は、たちまち真っ青になった。

「オイ!やめろバカ野郎!!」

牙をむき出して叫ぶルドルフに応える代わりに、静止していた宇宙船は
再びゆっくりと上昇を開始していた。

『それでは、今度こそごきげんよう。』

そのひと言の裏にある意味は、考えなくても明らかだった。


スイッチを、押す気だ。


「やめろおッ!!」

「やめて―――――――――ッ!!」


甲高い声で叫んで駆け寄ろうとしたクローネが、
足元の石につまづいてしたたかに転ぶ。

走ったところで、届くはずもない。

それでも跳ね起きたその体を、ルドルフが背後から抱き止めた。

「待て!」

「離して先生!!お父ちゃんが…お母ちゃんが……ロミルが!!」

「いいから伏せろクローネ!!」

ひときわ大きな怒声が響いた、そのコンマ数秒後。



周囲のすべてを砕き尽くすような轟音と衝撃波が、地に伏せた2人に容赦なく襲い掛かった。
上空で解き放たれた爆炎と閃光により、周囲の空が夕暮れ色に照らし出される。


音もなく上昇していた宇宙船は、木っ端微塵に爆散した。




「……な、なんで?」

土埃にまみれた顔を上げ、クローネは放心したような口調でつぶやいた。
頭をひと振りしてツノに被さった土塊を落とし、ルドルフもぼそりと言葉を発する。

「だからやめろっつったのに。やっぱり俺を甘く見やがったな。」

墜落して煙を上げる破片をぼんやりと見ていた
クローネが、その言葉を耳にして振り返る。

「どうして、宇宙船の方が爆発を…?」

「何だ。やっぱり全然見切れてなかったんじゃねえか、お前。
えらそうなこと言ってる割にゃあ、まだまだだな。」

少し小馬鹿にしたような口調で応え、ルドルフは弾みをつけて立ち上がる。

「簡単な事だ。さっき俺が、お前の実家まで走って行って家捜しをした。
そんで見つけた爆弾を取り外し、ここまで持って帰ってきてあいつらの
宇宙船の中に置いといてやったんだよ。」

「え?…ちょ、ちょっと待って下さいよ。」

思いきり怪訝な表情を浮かべたクローネが、よろめきながらも立ち上がる。
どっさりと全身に積もっていた土埃が、その拍子に乾いた音を立てて落ちた。

「あたしの実家ってノルウェーにあるんですよ?そんで、
ここはアフリカ大陸のど真ん中の、山の上なんですけど…」

「そうだ。」

「いや「そうだ」って。」

納得できないクローネの声は、露骨に裏返った。

「じゃあ、あの瞬間に姿をくらました後…この山を
一気に駆け下りて、サハラ砂漠を縦断して?」

「ああそうだよ。地中海を迂回して、ヨーロッパ各国を走り抜けて。
そんでスカンジナビア半島を北上して、お前の家まで行ったんだよ。」

「う、嘘でしょ?」

常識の範疇をはるかに超える話に、クローネは形容しがたい表情を浮かべた。

自分が引き延ばしたあの数十秒のあいだに、そんな距離を往復…?

「信じてねえな?」

フンと鼻を鳴らしたルドルフは、ポケットから携帯を取り出した。
そして、短縮ダイヤルを手早くコールする。

ほどなく出た相手と、なにやら短い言葉を交わした。

「おう。…そうだ。じゃあ、ちょっと代わるから。」

言い置いて、そのまま携帯をクローネに差し出す。
無言で促され、クローネはとりあえずその携帯を耳に当てた。

「…も、もしもし?」

『あ、お姉ちゃん?ぼくだよー。』

「ろ、ロミル!?…無事なの!?」

『無事って?』

「あ、いや、その…」

どう言っていいか分からず、クローネはいささか混乱した。

『さっきね、トナカイさんが来たんだよ。後でちょっと連絡するから
こいつを持っててくれって、この携帯電話を置いてった。』

「ほ、ホントに?」

『ホントにって?……あ、トナカイさん。』

「!?」

電話の向こうで、何やら言葉が交わされている気配があった。
傍らにいるはずのルドルフに、目を向けようとした刹那。

『…どうだ、信じたか?』

「先生!?」

受話器の向こうの声は、まさしくルドルフだった。

『分かったか?これが、超一流のアクセルセンスってやつだ。
あのオモチャをバラしたのは、最後のオマケなんだよ。』

「………」

目の前で成された常識外れの神技に、クローネは絶句した。

何かをやろうとしているのは分かっていたが、まさかこんな事まで…

『とりあえず、ここの無事はこの目で直々に確かめてやったぜ。
んじゃ、もう一回坊主に代わるから。』

応えを待たず、再び物音が届く。

『元気にしてる?お姉ちゃん。』

「う、うん。ロミルは?」

『元気だよ。お父さんもお母さんも。』

「そっか…。」

『たまには、帰ってこれないの?』

「え?…うーん、どうかなあ。」

自分では、何とも答えようがなかった。
言葉を探して目を泳がせた、その刹那。

不意に、手から携帯がサッと奪い取られる。

「ああ。来月あたり、一回休みをやろうと思ってるよ。」

「!?」

自分に代わって勝手に話し出したのは、今しがた電話の向こうにいたはずの
ルドルフだった。息ひとつ切らさず、腰に手を当てて話を続けている。

「ああ…ああ、任せとけ。んじゃ、それはその時に。じゃあなー。」

通話を切るピッという音と共に、ルドルフはあらためて向き直った。

「どうだ?」

「参りました。」

もはや、クローネの言葉に戸惑いも驚きもなかった。
ただ、感服の念だけがあった。

「よし。じゃあ、修行の前にひと仕事だな。」


相変わらず、ルドルフの笑みはどこまでも不敵だった。


==================================


「そっちをもうちょい曲げろ。……よーし、こんなもんかな。」

最後の装甲板をクローネが力任せに内側にねじ曲げて、作業は終わった。
バラバラになったアルティメットガンナーのパーツと、爆発した宇宙船の破片。
それを拾い集めて無理やり丸めた金属ダンゴは、さながらひとつの抽象芸術だった。

「んじゃ、最後にこれを…」

生活用品を入れてきた大きなアルミの箱を抱え上げたルドルフが、
上部にある装甲板のわずかな隙間に強引に押し込む。

「何ですかそれ?」

「タコ焼き15人分だ。」

「タコ焼き?」

思わず身を乗り出したクローネを、ルドルフが首を振って制した。

「お前は見るな。食いもんじゃねえから。」

「え?」

きょとんとしたクローネは、やがて何かに思い当たった。
それ以上は質問をせず、そのまま黙って引き下がる。

言わんとする事は明らかだった。


最初から、自分にはアルティメットガンナーの破片しか回収させていない。

それは、ルドルフなりの親心なのかも知れなかった。


==================================


亜空間コンテナを外しているため、大きなものはワイヤーで吊り下げるしかない。
かなり不安定になるのは、避けられなかった。

それでも、起動したライトニングカリブーは自分よりも大きな金属ダンゴを
下部に提げながら、力強く上昇した。

「さーて。んじゃ捨てに行くか。」

「どこへですか?」

サブシートに腰掛けたクローネの問いに、ルドルフは計器を調節しながら答える。

「決まってるだろ?こんなもん、この星にあっちゃいけねえんだよ。」

「じゃあ、このまま宇宙まで行くんですね?」

「そうだ。しっかりシートベルト締めろよ。行くぞ!」

かけ声とともに、ライトニングカリブーは一気に加速をかけた。
斜めに空を切り裂き、撃ち出された砲弾のような直線軌道で空を駆け上がる。


あっという間に、夕暮れの空は星空へとその様子を変えた。

眼下に広がるアフリカの大地がたちまち遠ざかり、蒼い球体へと変わっていく。


やがてカリブーは、静寂の空間が広がる宇宙空間まで到達した。

「…すごーい。ここが宇宙ですか…。」

ヤモリのようにべったりとキャノピーに張り付き、クローネは興奮した声を上げた。
その傍らで、ルドルフはモニターに表示された図形を見ながら何かを計算する。

「ね、土星ってどっちですか?ハレー彗星って見えます?それか…」

「ちょっと黙ってろよ。いま難しい軌道計算をやってるんだから。」

「軌道計算?」

覗き込むクローネには目もくれず、何かをブツブツつぶやきながら計算は続いた。
やがて、ようやく結果が出たらしい。
顔を上げたルドルフは、操縦桿に手をかけた。

「よーし。…ところでお前、陸上競技のハンマー投げって見た事あるか?」

「テレビでなら。」

「よし。じゃあ、あれの気分を味わわせてやるよ。しっかり掴まってろよ?」

「え?…あ、ハイ。」

よく分からないながらも、クローネはシート脇のバーを強く握る。
それを一瞥したルドルフは、操作パネルにコマンドを入力した。

同時に、静止状態だったカリブーが次第に動き始める。
前進でも、後退でもなかった。
中心部を軸とした、高速の横回転。

どんどん早くなる回転によって、機体のシルエットは完全な円形になった。

「…ひいいいいいいいいいいいっ!」

遠心力に押しつぶされそうになったクローネの悲鳴が、甲高く響く。
それには目もくれず、ルドルフはじっとモニター表示を見つめていた。

数秒後。

タイミングを見計らったルドルフのヒヅメが、小さなスイッチを押す。
同時に、ワイヤーを固定していたフックがいっせいに外れた。

超高速で振り回されていた金属ダンゴが、まさに投擲のハンマーのように
勢いよく投げ出される。それは、あっという間に宇宙の虚空へと飛んでいった。

しばらく回転を続けたカリブーは、やがて再び静止した。
完全に目を回したクローネが、ぐったりとシートに沈み込む。

「どうだ、面白かったろ?」

「…ハンマー投げじゃなくって、ミキサーの食材じゃないですか。」

「お?うまいこと言うじゃねえか。」

言いながら、ルドルフは金属ダンゴを投じた座標に目を向ける。
すでに、ダンゴは見えなくなっていた。

「これでよし、と。」

「投げ捨てですか?これって。」

「その言い方は気にいらねえな。」

じろりとクローネを睨み、ルドルフは鼻を鳴らした。

「ちゃんと軌道は計算してあるんだよ。あの方向へ、あの速度で。
かなり日数はかかるが、あれはいずれ重力に曳かれて落ちていく。」

「重力?…何のですか?」

「太陽のだよ。」

虚空に目を向け、ルドルフはポツリと答える。

「それで、燃え尽きて終わりだ。まぁ、宇宙海賊の最期としては
それなりに相応しい葬送だろ?」

「……そうですね。」

応えながら、クローネも同じ方向に目を向ける。


宇宙は、どこまでも沈黙に満ちていた。


==================================


「じゃあ、さっさと帰って修行の続きをやるぜ。」

操縦桿を握り直したルドルフに、クローネが遠慮がちに声をかける。

「…ちょっと、ゆっくり行きませんか?」

「あ?…しょうがねえな。まあ、別にいいけどよ。」

しぶしぶ頷いたルドルフの操縦で、カリブーはゆっくりと転身した。

「あの、先生。ちょっとお聞きしたいんですけど。」

動き出すのを待って、クローネは小声で話し掛ける。

「何だ?」

「…どうして、あの宇宙人の誘いを断ったんですか?
…やっぱり、悪に加担するのは許せなかったから?」

「そんなたいそうな理由じゃねえよ。」

正面を向いたまま、ルドルフはそっけなく答えた。

「一流の料理人が、砂場でおままごとやろうって誘われて引き受けるか?」

「?」

「じゃあ、逆にお前に聞くけどな。」

「はい。」

「強力な兵器を使ってよその国や星を侵略するのと、ひと晩のうちに
世界中の子供にプレゼントを配るのと。どっちが難しいと思う?」

「え?それは…」

予期せぬ問いに、クローネはほんの一瞬目を泳がせた。

「…難しいのは、プレゼントを配る方ですよね。」

「そうだ。」

相変わらず正面を見ながら、ルドルフは淡々と続ける。

「侵略だの略奪だのに必要なのは、力だけだ。深い思慮も想像力も、
何にもいらねえ。つまり、力さえありゃどんなアホにでもできるんだよ。
規模のでかさや得るものの大きさなんかは、カケラの価値もねえ。」

「……」

「そういやあお前、まだ知らなかったよな?
じじいが、何で引退を決めたのかを。」

「え?あ、ハイ。聞いてないです。」

意外な問いかけに、クローネはどもりながら答えた。

「教えてやるよ。去年、プレゼントを配る人数が前年度割れしたんだ。
数で言えばたったの150人くらいだったが、前の年よりも減っちまった。
それが、あいつの決断の理由だったんだよ。」

「それがって…えっ、それだけですか?」

「それが、あいつがずうっと昔から決めてた事なんだよ。
自分の全力を尽くしても、前の年よりも結果が出せなくなった時。
前へと進めなくなった時に、使命を後継者にゆずろうってな。」

「……そうだったんですか。」

「分かるか?その意味が。」

ルドルフは、そこで初めて視線をクローネに向けた。

「俺たちのこの能力をフルに使っても、サンタクロースの使命ってのは
完全には成し遂げられないんだよ。昔も今も、サンタを待つ子供すべてに
プレゼントを配れた事は一度もねえ。それでも、少しづつ人数は増やしてきた。」

「…毎年が、挑戦だってことですか。」

「そうだ。」

頷いたルドルフの語気が、少し強まる。

「できる事だけをただやってたとしても、そこには成長も前進もねえんだよ。
己の持てる力を振り絞って、それでもできない。そんなでけえ目標に挑むって
事こそが、俺たちみたいな能力を持ってるやつらの目指す道じゃねえか?
だとしたら、今さら海賊稼業なんてガキの遊びに付き合ってられねえんだよ。
正義だ悪だ、そんなのは関係ねえ。ただ、目指す志が低すぎるってだけだ。」

「そうですね。」

力強い声で応え、クローネは何度も頷いた。


どんなにがんばっても、なかなか届かない。

それこそが、目指すべき目標。
もしかしたら、一生届かないのかも知れない。

それでも挑む。

出し抜けに、ずっと前にルドルフに言われた言葉が頭に浮かんだ。


(世界は見下ろすもんじゃねえ、見上げるもんだ。)


そうか。

それって、こういうことなのか。

見下ろせば、自分より下しか見えない。
見上げてこそ、もっともっと高く、そして大きな目標が見える。

それが、このルドルフ先生の美学だということなんだろう。


暴力への仕返しだの何だのと邪推していた自分が、何だかちっぽけに思える。
そんな事を考えるヒマがあったら、もっと高みを目指さないと。

まずは、アクセルセンスを身につけないと。


「………んん…よっしゃあッ!!」

声を張り上げたクローネは、いささか乱暴に両手で自分の頬をバシバシと叩いた。

「うおっビックリするじゃねえか!」

いきなりの大声に、ルドルフは思わずびくりと肩をすくめる。

「何だ、えらく気合入ってるな。」

「もちろんです!!」

「ようし。じゃあ、覚悟しとけよ?」

「了解!!」

言葉を交わしている間にも、目の前の地球はどんどんその直径を増していた。


宇宙の漆黒に映える、蒼い輝きを湛えながら。


==================================


3日後。


「集中だ。いいな?」

「分かってます。」

即答し、クローネは目を閉じた。

あれから、ボール相手に限界に挑む事2日。
キャッチした数は、とうに1000を超えていた。
痛みも疑いも、もう遠ざかっている気がする。


すでに、感覚は掴めている。
あとは、自分の中の「一線」を超えるだけだ。

できないと思う猜疑心を排し、集中する。
目の前を横切る、時速1200kmのボールに。

………

いや、ちがう。

ボールの速度は関係ない。

そんなありきたりな数字は、置いてくればいい。

ボールの速度は、自分が決めればいい。

(そうか。周りのすべての時間を、自分で決めればいいのか。)


思いついた瞬間。

クローネの耳から、すべての音が遠ざかった。

思わず、ハッと目を開ける。

周囲に、動いているものはなかった。
すべてが、静止しているように見えた。

横を見ると、ボールが中空に浮いているのが見えた。
回転しながら、ゆっくりとこちらに進んでいる。

理屈は分かった。

周囲のものと比べて段違いに速いため、動きが見えているという事だ。
本当は、周囲のものも動いている。
あまりにもゆっくりだから、止まっているように見えるだけだ。

しかし、ゆっくりに見えているんじゃない。

”本当の速さ”を意識しなければ、これこそが自分にとっての速さなのだ。
ボールは自分にとって、本当にゆっくり進んでいる。

ここまで到達するのに、どのくらいかかるのだろうか。
居眠りくらいならできそうだった。


やがて、ようやくボールは目の前まで来た。
ピッチングマシンから離れたため、さらに速度は落ちてきている。

のらりくらりと目の前を通るボールを見ながら、クローネはふと思いついて
ポケットからサインペンを取り出した。そして、すぐ目前のボールに落書きする。

回転に合わせてペン先を動かし、難なく自分の名前を書き終えた。

これでいい。

小さく息をついたクローネは、左手をかざしてボールをそっと掴んだ。
手のひらの中で、回転が止まるのを待つ。

ほどなく、ボールの速度は完全に相殺された。

「できた。」

ポツリと言った瞬間。

現実の時間が、だしぬけに戻ってきた。

風の音。流れる雲。
山の頂であるにもかかわらず、戻ってきた世界は音と動きの奔流だった。


「できたな?」

いつの間にか、ルドルフがすぐ目の前に立っていた。

答える代わりに、クローネは黙って手の中のボールをかざして見せる。
そこには、つたない筆致で自分の名前が記されていた。


「ようし。よくやったぜ。大きな前進だ。」

「はい!」

元気よく応えたクローネに、ルドルフはにっこりと笑って見せた。

いつもとは少し違う、サングラス越しにも優しさの伝わる笑顔。


笑みを交わす2人の傍らを、かすかな風が駆け抜けていった。


==================================


「ゴミはぜったいに残すなよ。」

「はーい。」

キリマンジャロでの修行合宿を終えた2人は、撤収作業に励んでいた。

「ジョニーさん、ひとりで退屈してるでしょうね。」

「どうせケーブルテレビに一日中べったり張り付いてやがるんだろ。」

言葉を交わしつつ、2人は手際よく荷物をライトニングカリブーに積み込む。
ほどなく、帰り支度は完了した。

「さて、帰るか。キリマンジャロにおさらばだ。」

「そうですね。」

相づちを打ったクローネが、ふとルドルフに視線を向けた。

「先生。やっと分かりました。ここが修行の場だった理由が。」

「ほう?言ってみろよ。」

「つまり、「時写し」の時の北極点と逆でしょう?赤道近くの高い山の頂。
そこは地球上で最も自転の距離が長い…つまり、時間の力が強い場所。
そこの時間をねじ伏せてアクセルセンスを習得すれば、それは地球上の
どの場所ででも強力に発現できる。…そういうことじゃないですか?」

「ほう。」

ちょっと眉を吊り上げ、ルドルフは感嘆の声を漏らした。

「お前も、それほど馬鹿じゃねえな。確かにその通りだ。」

「あたし馬鹿じゃないですよー。そのくらい認めて下さい!」

大げさに口を尖らせるクローネに、ルドルフはちょっと笑ってみせる。

「わかったわかった。じゃあ、今日はお祝いだ。帰って、盛大に食おうぜ。」

「賛成っ!!」

歓声を上げたクローネとルドルフを乗せ、ライトニングカリブーは
晴れ渡るアフリカの空へと舞い上がった。


クリスマスまで、あと4ヶ月。


大きな試練を乗り越えた2人の交わす声は、どこまでも明るかった。



================【続く】===============

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