第11章:12月

〜誓いのHOLY NIGHT


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「…おおい、着替えは済んだのか?」

「はい。」

遠慮がちな返答と同時に、ドアが開いた。



入ってきたルドルフは、目の前に立つクローネの姿をしげしげと眺める。
視線に恥じ入るかのように、クローネはもじもじと足を組み替えた。

「に、似合います?」

「馬子にも衣装ってとこだな。」

にべもなく言い返して踵を返したルドルフが、背を向けたまま手招きする。

「もう時間ねえぞ。積み込みはとっくに終わってる。準備しろ。」

言い終える前に、その小さな体は部屋を出ていた。
しかし、足音がついてくる気配がない。

「あの、先生。」

顔だけ振り返ったルドルフに、クローネの小さな声が届いた。

「……ホントに、できると思いますか?あたしなんかに。」

「質問の意味がわからねえな。」

低い声で応えながら、ルドルフは体ごと向き直る。
サングラス越しの視線が、もういちど目の前に立つクローネを見据えた。

「………」

しばし、見つめ合ったまま沈黙が流れる。

「あ、あのう…」


「こいつが、あのハナタレだって…誰が信じるよ?」



「え?」

独り言のような呟きを聞き逃したクローネが、身を乗り出した刹那。
ルドルフは、牙をむき出してにやりと笑った。

「できるかどうか、それを悩む理由がわからねえってんだよ。
というより、なんでできないかも知れねえって思うんだ?」

「それは…」

「お前を鍛え上げたのは、このルドルフさまだ。」

そこで言葉を切り、ルドルフは自分の胸を指していた蹄をクローネに向ける。

「そしてお前は、クローネだ。」

「はい。」

「俺が俺で、お前がお前であるという事実。それだけで充分だ。
それがある限り、うまく行かないなんて事ぁ絶対にねえよ。絶対にな」

断言したルドルフの顔に、もういちど不敵な笑みが浮かぶ。

「分かったか?」

「ええ。」

応えるクローネの顔にも、明るい笑みが宿った。

「じゃ、行くぜ。もう、ジジイもジョニーも待ってる。」

「分かりました!」

言いつつ、クローネは帽子のずれを直して足を踏み出す。


凛としたその声と動作に、もう迷いの色はなかった。


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12月24日。

空は、どこまでも澄み渡っていた。

いつもよりも少し早く起きて、みんなで最後の出発準備を整える。
プレゼントの総数チェックと、届け先の住所確認。そしてルートの最終調整。

すべての準備は整った。


リビングに出たクローネを、大きな影が迎える。

「やあ、よく似合っとるのう。」

ホッホッと体を揺らし、影―サンタクロースは嬉しそうに笑った。
少し頬を赤く染めながら、クローネは照れ隠しに頭をかく。

「…そうかな。」

「ああ。…ずいぶんと、立派になったもんじゃな。」

言いながら、サンタはすっと目を細めた。
そんな2人を見比べながら、ルドルフもサングラスの奥の目を細める。

でっかくなりやがったな。
最初にこのジジイと並んだ時は、ネコとノミだったのに。
いつの間にやら、ここまででっかくなってやがった。

「感慨にふけるのはまだ早えぜ、ルドルフ。」

背後からかけられたジョニーの言葉に、ルドルフはハッと振り返った。
やがてその顔に、少しばつの悪そうな照れ笑いが浮かぶ。

「…うるせーな、分かってるよ。」

「もうすぐ、時間だぜ。」

時計を見ながら、ジョニーは3人に大声で告げた。
彼自身もまた、丁寧に毛並みを整えてめかし込んでいる。

「ようし。」

マフラーを丁寧に巻き直したルドルフが、並び立つ3人の顔を
ゆっくりと見回す。やがてその顔に、不敵な笑みが浮かんだ。

「じゃあ、行くぜ。」

「はい!」

「ジジイ。」

「何じゃね。」

「…家で、ゆっくり待ってな。手柄話を、な。」

「ホッホッ、了解した!」



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半年に渡る駆動を終えたトイ・リボーナーから程近い場所にある広場に、
ライトニングカリブーがスタンバイ状態で静かに停泊していた。

すでに電灯の灯っていたコクピットに、ルドルフ、クローネ、ジョニーの3人が
順に滑り込む。ドアが閉まると同時に、室内の駆動音がひときわ大きくなった。

「さあてと。…エンジン良好。発進スタンバイ。」

「いよいよですね。」

やけに落ち着き払った声で、クローネが誰にともなく呟く。
一心に前を見据えるその顔に、緊張の色は浮かんでいなかった。
むしろ、昂ぶっているという表現の方がピッタリかも知れない。

握りしめた両の拳に、有り余る気概がにじみ出ているようにも見えた。

と、その直後。

「おいルドルフ。」

船外モニターをチェックしていたジョニーが、ディスプレイを見たまま声を上げる。

「…”霧”が出てきたみてえだぜ。」

「霧?」

その言葉に反応したクローネが、パッと立ち上がってキャノピーに張り付く。

「…絵本で見たことあったけど、ホントに出るんですね。出発前の霧って。
先生が初めておじいちゃんのソリに参加した時も…。」

「ああ、出たな。」

ルドルフの言葉を合図にしたかのように、周囲に霧が立ち込め始めた。
キャノピー越しにそれを見たクローネが、わずかに眉をひそめる。

「…なんだか、いやな色の霧ですね。見てるだけで気が滅入ってくる。」

「だろうな。」

正面を見据えたまま、ルドルフが低い声で応えた。

「こいつは『絶望の霧』だから。」

「え?」

振り返ったクローネの声に、疑念の響きがこもる。

「何ですか?それ。」

「ことし一年の間に世界中で生まれた、怒りや憎しみ、悲しみ。そして絶望。
そういった負の感情が澱のようによどんで世界中に広まり、こんなふうに
霧になって立ち込めるんだよ。…ほとんどの人間には見えねえけどな。」

「そ、そんなものなんですか、この霧って…。」

それまで興味深げに見ていた外の風景から逃れるように、クローネは
キャノピーから離れた。ライトニングカリブーを覆い尽くしたその灰色の霧は
中に入ってくるかと思うほど粘りつき、周囲の視界をほぼゼロにしている。

「俺がソリの先導を始めた頃は、この霧もここまで濃くはなかった。」

キャノピー越しの風景を睨み据えながら、ルドルフは低い声で続ける。

「何百年という年月の間に、人間の数が増えた。そして、それだけ世界に
悪意や憎しみも増えた。その結果、こんなものが世界を覆うようになった。」

「だな。毎年、どんどん濃くなってるぜ。」

側面の窓を見ながら、ジョニーも呟いた。

「…何かの意志が働いてるのかも知れねえよな。毎年毎年、この霧はきっちり
このタイミングで発生する。間違いなく、俺たちの出航を惑わせるために。」

「そうなんですか…」

「ああ。」

応えたルドルフは、ゆっくりと立ち上がる。
やがて、その顔に凶悪な笑みが浮かぶのが他の2人に見えた。


「…そんなもん、何の意味もねえにもかかわらず、だ。」

「先生?」

訝しげな表情を浮かべたクローネの服の袖を引き、ジョニーが小声でささやく。

「ちょっと、あいつを見るな。」

「え?」

「”その瞬間”をまともに見ると、しばらく目が使いものにならなくなるぜ。」

「……?」

意味が分からないまま、とりあえずクローネはルドルフに背を向けて座り直した。
その背後で、どこか殺気に似た気迫をはらんだ言葉が続く。

「毎年毎年、懲りもせずにご苦労なこったな。」

その口調は、ますます激しさを増していた。

「だが、いいかげん気づけ。お前らごとき残りカス風情がどんなに邪魔をしようと、
俺の敵じゃねえって事をな。俺は負けねえ。たとえ何億人分、束になってもな!」

その瞬間。

クローネは、背中に熱を感じた。
物理的な温度とは、明らかに違う。

それは、ほとばしる激情の熱だった。


「邪魔してんじゃねえぞコラァ!!」


「キャーッ!」

思わず上げたクローネの悲鳴は、ルドルフの怒号にかき消された。
同時に、コクピット内に凄まじい光が満ちる。

それは、ルドルフの鼻から放射された赤い閃光だった。
背後から殴られたかのような圧力を受け、クローネとジョニーは
コクピットの内壁にまとめて押しつけらられる。

それは、ほとばしる光の圧力だった。

キャノピーからあふれたその光は、ライトニングカリブーの装甲を
侵蝕しようとしていた霧を一瞬でなぎ払いながら広がる。



”照らす”などという生やさしいものではなかった。

まるで炎のように、光は霧を巻き込んでそのまま焼き尽くしていく。
瞬く間に、周囲数100キロの霧は残らず駆逐された。

なおも勢いを増すその光は、やがて地球全体を赤く照らし始めていた。



「……す、すごーい…!」

ようやく目がなれたクローネが、おずおずと体を起こして座り直す。
キャノピー越しに見える風景は、一変していた。

灰色の霧は失せ、澄み渡った空には赤い星のような光が瞬いている。

コクピットから、もといルドルフの赤鼻から放出された光の粒子が、
まるで何億、何十億のカンテラのように夜空に印をつけていた。

「くだらねえ邪魔は失せた。道もできたぜ。」

そう言ったルドルフの顔に、誇らしげな笑みが浮かぶ。

「行くぜ。こっからが本番だ。」

「はい!」

勢いよく応えたクローネに笑みを向け、ルドルフはグッと操縦桿を握る。

一拍の間を置き。


3人は、声を揃えて叫んだ。

「ライトニングカリブー、発進!」



響き渡る、3人の声を残し。

ライトニングカリブーは、赤い光の粒を撒き散らしながら飛び去っていった。

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アクセルセンスによって、静寂に満ちた夜の街。

本当なら、クリスマスイブの喧騒に満ちているはずのその空間。
そこに、動いているものはほとんど見受けれらなかった。

全ての人々が、マネキンのように固まっている。
実際は動いているが、あまりにも見た目の動きが遅いため、
アクセルをかけた者には静止しているようにしか見えない。

大通りから少し外れた所にある、閑静な住宅街。
すぐ裏手に針葉樹林を臨む場所に、レンガ造りの家々が軒を連ねている。

やがて右端の家の前に、小さな赤い光が降り立った。

黙って手をかざしたルドルフの開錠術によって、入口のドアが一瞬にして開く。
足音を忍ばせるような格好で、ルドルフとクローネは室内へと入った。

あまり広くない居間の中央には、質素なクリスマスツリーが鎮座していた。
どうやら、家族みんなでささやかなクリスマスパーティーを催したらしい。

粗末なソファに差し向かいで座り、夫婦と思しき2人が語り合っていた。
手をかざした姿勢で止まっているその夫婦を一瞥し、2人はそっと階段を上がる。

子供部屋は、悲しいほど狭かった。
使い古しの布団にくるまり、ひとりの女の子が寝息を立てている。

どんな夢を見ているのだろうか。
長い睫毛を湛えた目は、閉じられていてなお笑っているように見えた。

「さてと。」

小声で言ったルドルフが、傍らのクローネににやりと笑いかける。

「記念すべき、お前の初プレゼント相手だぜ。」

「………は、はい。」

うわずった声で応えたクローネは、体重を右足から左足に移した。
ラッピングされたウサギのぬいぐるみを持つ手が、震えているのが見てとれる。

「何を緊張してんだよ?」

「い、いえ。ちょっと…」

問いかけはしたものの、ルドルフにはその震えの意味は分かっていた。

はるか以前。

サンタクロースの助手となった頃の自分も、同じだった。
みずから背負った、使命の重さ。
それが、圧倒的な大きさで自分自身を包み込む。

ましてや彼女は、サンタクロースの使命を継ぐ者だ。

その第一歩を踏み出すのに、ためらいの無いはずがなかった。

しばしの、沈黙ののち。

「大丈夫だ。」

いたって何気ない口調で言いながら、ルドルフはクローネの肩を軽く叩いた。

「楽に行けや。お前には俺がついてるからよ。」

そう言った瞬間。

コチコチになっていたクローネの体から、フッと力が抜けるのが伝わった。
金縛りが解けたかのように足を踏み出し、クローネはそのまま枕もとへと歩み寄る。

少女の寝顔は、蒼い月明かりに照らし出されていた。

その顔に自分の影を落としたクローネが、そっと枕元にぬいぐるみを置く。
アクセルセンスによる静寂の世界に、ラッピングフィルムの音が大きく響いた。



「…メリークリスマス。」

ほとんど聞き取れないほどの声で呟いたクローネの瞳に、涙があふれる。
しかし、それをこぼす前にクローネは勢いよく立ち上がった。


もう、その表情に迷いはない。
その涙に、悲しみも悔いも滲んではいない。


それを確信したルドルフは、会心の笑みを浮かべた。

「よくここまで来たな。」

「はい。」

「今この瞬間が、お前にとっての本当のスタート地点だぜ。」

「はい。」

それ以上、よけいな言葉は必要なかった。
しばし見つめ合った2人は、やがて同時に拳を握ってガッツポーズを取る。

「よっしゃ。んじゃペース上げていくぜ!」

「はあいっ!!」


凛とした声で応えたクローネの横顔を、月明かりが眩しく照らしていた。

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青白い電灯の下に浮かび上がる廊下は、どこか寂しげだった。
動くものもかすかな物音もないため、よけいにその青が頼りなく目に映る。

そんな中を、3つの影が音もなく駆け回っていた。

スイスの国立病院の中にある、長期入院病棟。
ここには、何年にも渡って入退院を繰り返している子供が大勢いる。
生まれてこのかた、外に出たことがない子も一人や二人ではなかった。

毎年、ルドルフとサンタはここに来ている。

イブの夜にプレゼントをくれるサンタクロースの存在は、病院内では
ただの伝説ではなく、もはや公然の事実だと見なされていた。

誰も、その姿を見たものはいない。
しかし、毎年必ず訪れて子供たちを勇気づけてくれるサンタクロース。
皆、その存在は確実に感じている。

だからこの日は、夜間もあえて施錠はされない。職員たちも、
コールがない限りは室内で待機するように心がけている。

まだプレゼントを贈ったことのない子どもたちの病室を、ルドルフとクローネ、
それにジョニーの3人が、順に駆け巡っていた。

やがて。
とある個室のドアの前に立ったルドルフが、傍らのジョニーに目を向ける。

「さてと。ここが最後だな。」

「らしいな。」

「………。」

2人の会話を黙って聞いていたクローネが、ゆっくりとドアを開けた。
ひときわ暗い部屋の中に、月明かりと循環維持装置のランプのみが
やけに目立つ光を放っているのが見える。

大き過ぎるベッドには、何本かのチューブを体につないだ女の子が眠っていた。
しばし黙ってその寝顔を見ていたジョニーは、やがてそっとその枕元に飛び上がる。

「…それじゃ、これでまたしばらくお前らとはおさらばだな。」

「ああ。勇気づけてやってくれよ。この子を。」

「任せとけって。」

言葉を交わしたルドルフとジョニーは、パチンと互いの手のひらを重ねて鳴らした。


「ジョニーさん。」

そんなジョニーに、傍らに立っていたクローネが改まった口調で声をかける。

「短い間でしたけど、本当に色々とお世話になりました。」

「なーに。俺の方こそ楽しかったぜ。ありがとよ。」

そう応えたジョニーの顔に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。

「いつになるかは知らねえが、また会う日まで元気でな。」

「はい。ジョニーさんも、お元気で。」

「それまでには、一人前の……」

言いかけたジョニーは、そこでふと言葉を切った。
次の言葉を待つクローネを見つめる顔に、もう一度笑みが宿る。

「…それまでに、いい女になってろよ!」

「はいっ!」

少しはにかみながらも、クローネは笑顔で元気に応えた。

「んじゃな。」

軽く手を振り、ルドルフとクローネは個室を後にした。
ほどなく、窓の外に見えていた赤い煌きが大きく流れる。
滞空していたライトニングカリブーが、加速をかけたらしい。

じっとボタンの目を凝らしてそれを見送っていたジョニーは、
やがてため息をついてアクセルセンスを解除した。

途端に、夜の病院の様々な音が耳に届き始める。

ピッピッという規則正しい機械音にかすかな寝息が混じっているのを
耳にして、ジョニーはゆっくりとベッドの少女に目を向ける。

「…じゃ、よろしくな。」


つぶやいた言葉は、蒼い月明かりに融けて消えていった。



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次第に、夜は更けつつあった。

「どうした?さすがのお前もお疲れか。」

「い、いえ…。そういうわけじゃあ…。」

問いに答えるクローネの声は、確かに少し息切れしていた。
キビキビとしていた動きも、心なしか鈍くなってきている。

「…ま、無理もねえわな。」

そう言って、ルドルフは軽く肩をすくめる。


確かに、疲れて当たり前だった。

プレゼントの配布を始めてから、およそ3時間。しかしアクセルセンスを
使っている2人にとっては、この3時間は1ヶ月近くにも匹敵する長さになっている。

短い休憩は挟んでいるものの、ほぼぶっ通しで駆け巡り続けている現状。
いくら超人的な能力とスタミナを持つクローネでも、疲労がないほうがおかしい。

「仕方ねえな。ちょっと休むか?」

「…はい。」

おそらくは、不本意なのだろう。頷いたクローネは、下唇を噛みしめていた。

そこは、何かの公共施設の庭先らしい。
石造りのベンチにルドルフと並んで腰を下ろし、クローネは大きく息を吐いた。

「…静かですね。」

「そうだな。」

ポケットから取り出したアメを口に放り込み、ルドルフが応える。

「もうちょっとで予定の半分だ。」

「ええ…。」

あいまいに頷くクローネの声には、明らかに覇気がなかった。
もうひとつ取り出したアメを差し出し、ルドルフは視線を彼女に向ける。

「どうした?…けっこう順調なのに、テンション落ちてるぜ。」

「…どうにも、この静けさが重くって。」

無意識に包みを解いたアメを口に入れながら、クローネは空を仰ぎ見た。

「…最後までジョニーさんが一緒だったら、少し違ってたんでしょうけど。」

「しょうがねえな、それは。スイスを最後にするわけにもいかねえし。」

応えたルドルフも、同じように空を仰ぐ。
赤い光の瞬きが、星のそれとリズムを合わせているように見えた。

「…確かに、アクセルをかけてるこの状態では、世界は静かだからな。
こんな孤独の中、ずっとハイテンションでいろってのも無理な相談だ。」

「………。」

クローネは、そのまま黙って目を伏せる。
目を向けたルドルフには、そんな彼女の気持ちはよく分かった。

別に、感謝の言葉が欲しいわけではない。
子供の喜ぶ顔を、その場で見たいというわけでもない。

ただ、たったひとつ。

自分たちがここにいるという事を。
自分たちが、こうして世界中を駆け回っているということを。

せめて、誰かに感じて欲しい。

自分たちという存在を、体で感じてもらいたい。

それはずっと昔、ルドルフ自身が何度も渇望した事だった。
サンタと、仲間たちと、そして自分がここにいる事を。

絵本やお話の中だけではなく、本当の事として感じてもらいたい。

みんなに、とまでは言わない。
たった一人でもいい。

そんな事を、心の奥底で願っていた。

この若さでサンタになったクローネにしてみれば、それは当然の感情だ。


恩を売りたいのではない。

ただ、認めてもらいたいだけだ。


しばし、ルドルフは黙って空を見上げていた。

やがてその顔に、にやりと意味ありげな笑みが浮かぶ。
むきだしになった牙が月明かりに光るのを感じ、クローネは振り返った。

「…先生?」

「あのな、クローネ。」

訝しげな表情を浮かべる相手の顔に目を向け、ルドルフがイタズラっぽく笑う。

「確かにアクセルセンスを使うと、人の動きや声は聞こえなくなる。
けど意識を集中すれば、特定の相手の言葉だけは拾えるんだぜ。」

「え?…特定の…相手?」

「そうだ。」

口の中で小さくなったアメを勢いよく噛み砕いて呑み込み、
ルドルフはクローネの肩を軽くぽんぽんと叩いた。

「難しい事じゃねえぜ。意識を集中して、じいっと耳を澄ますんだよ。
そうすりゃ、きっと聞こえてくる。世界中が静寂に満ちているからこそ、
どんなに遠くに離れていようとな。」

「…聞こえるって、何がですか?」

「応援だよ。」

言いながら、ルドルフはもう一度にやりと笑う。

「俺たちに向けられた、世界最強の応援の声だ。」

「応援…?誰の?」

「いいからやってみな。目を閉じて、耳に意識を集中するんだよ。」

怪訝そうに口を尖らせながらも、クローネはそのままの姿勢で目を閉じた。
音のない世界で視界を閉ざすと、よりいっそうその静寂が耳に突き刺さる。


耐えがたい沈黙の波が、押し寄せた直後。


かすかに、声が聞こえてきた。
はじめはほんのちいさな耳鳴りのようだった声が、次第に鮮明になる。

何を言っているのか。

誰の声なのか。

そして、誰に向けられた声なのか。

それらが、すべてはっきりと分かった瞬間。

クローネは、パッと目を見開いた。

「先生、これって…」

「ああ。聞こえたろ?」

そう言って、傍らのルドルフは誇らしげに笑った。



「それが俺たちへの、最強の応援だよ。」


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凍てつくような寒さが、周囲の空気すらも白く霞ませる夜。

皆が家に閉じこもって暖を取りながら、イブの到来を祝っている中。


そんな寒さを吹き飛ばすかのような大声が、澄んだ空気に響いていた。

一軒の家の、屋根の上。

その先端に陣取った小さな人影が、何かを振り回しながら声を張り上げている。
夜気になびくその長細い物体は、どうやら手作りの旗らしかった。

明らかに子供と思しきその人影は、空を見上げていっしょうけんめいに叫ぶ。

その幼い声は、全てを圧倒する気迫に満ちていた。


「姉ちゃあ―ん!トナカイさーん!ガンバレよ―――――――!!」



声を張り上げているのは、ロミルだった。

自分で作ったらしい不恰好な応援旗をしっかりと両手で握りしめ、
つんと冴え渡った夜空に向けて力いっぱいの大声で叫ぶ。

夜の帳が下りると同時に、彼は両親の制止を振り切ってここに上っていた。

この世界のどこかで、サンタクロースとして頑張っているはずの姉を。
誰よりも大好きな、姉のクローネを応援するために。

彼は、ここでずっと旗を振りながら声を張り上げ続けていた。


すぐ下の玄関先では、デルジとロナが身を寄せ合って空を見上げている。
すでに大人になった2人の目には、ロミルが見ている赤い煌きは映らなかった。

それでも、うっすらと感じる事はできた。
あの小さなクローネが、世界中を駆け巡っているということを。

人相は悪いけど、どこまでもお人好しで真面目だったあのトナカイと一緒に。

じっと空を見据えるロナの目に、涙はなかった。

泣くべき時ではない。
あの子が、頑張っているのならば。
自分は、ただこうして遠くで祈るだけだ。

それが、親としてすべき事だと2人には分かっていた。

そんな2人の頭上で、ロミルは一心に応援の声を張り上げる。

自分たちを包む寒ささえも、3人にとってはクローネの一部であるように感じられた。


と、その刹那。

かじかんだ指を開いて旗を握り直そうとしたロミルの足元を、一陣の風が駆け抜けた。
旗の先端をはらんだその風に引っ張られ、バランスを崩した体は宙に投げ出される。

それを目の当たりにしたロナの口から、甲高い悲鳴が飛び出した。

「…ロミルっ!!」


瞬間。

まさに落下しようとしていたロミルの体を、赤い光が包み込んだ。

駆け寄るデルジとロナからすれば、ほんの一瞬。
それこそ、もつれる足を一歩前に進めるか進めないかの間だった。

その、一瞬ののち。

ロミルは、何事もなかったかのように雪の上に立っていた。
落とした応援旗も、すぐ傍らにちゃんと立て掛けられている。

「だ、大丈夫!?」

「うん。」

即答したロミルは、駆け寄った両親ににっこりと笑ってみせた。

「本当に平気か!?」

「大丈夫だよ。もちろん。」

そう言った視線が、ゆっくりとその手元に向けられる。

「………?」

つられて目を向けたデルジとロナが、同時に怪訝そうな表情を浮かべた。

「ロミル?…それは?」

「姉ちゃんが、今ぼくにくれたんだよ。」

視線を手の中のものに向けたまま、ロミルは嬉しそうに続ける。

「…また、いっしょに野球やろうねって言ってた。」



「クローネが…」

あとは、言葉にならなかった。
デルジは、涙をあふれさせるロナの肩をしっかりと抱きしめる。

クローネが来た。
ここに、サンタクロースとして。

その事実が、2人の心を熱くさせていた。

「お父ちゃんとお母ちゃんに、よろしくって!」

そう言ったロミルは、グローブを玄関脇のベンチにそっと置く。
2人が向き直った時には、すでにその手には旗の柄がしっかりと握られていた。

「あ、ちょっとロミル…」

「分かってる。もう屋根には上らないから!」

言い放ち、ロミルは玄関先まで駆けて行く。
そこで立ち止まると同時に、掲げた応援旗は再び風にひるがえった。

「姉ちゃ―ん、ありがとう!ガンバレよ――――ッ!!」

さっきまでよりもさらに気迫のこもった声が、夜空に響く。

涙に濡れた頬を拭ったロナは、デルジに寄り添いながらその背をじっと見つめた。

まだまだ幼いはずの、末っ子の小さな背中。



それはどこまでも大きく、そしてたくましく目に映っていた。



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午後、11時45分。

ご臨終です。



はい。
先生、どうもありがとうございました。


こちらこそ。

苦しみは、お感じにはなられなかったと思います。


ええ。

それは、私たちにもはっきりと分かりました。

お義母さんは、安らかな最期だったと。

…ね?


ああ。

ありがとう、母さん。



ねえ。

おばあちゃん、寝ちゃったの?
…死んじゃったの?



おばあちゃんはね。

おやすみになったの。
長い、長いおやすみよ。


…やっぱり、死んじゃったんだね?

もう、会えないの?


いいえ。

おばあちゃんは、あなたのそばにいる。
もう、お話しはできないけど。


それでも、あなたの心におばあちゃんはいるのよ。
いつでも。



さあ、きちんとおばあちゃんにごあいさつして。

おばあちゃん、おやすみなさいって。


…うん。

おばあちゃん。

おばあちゃん。今までありがとう。

いっぱい、おはなししてくれて。
どうもありがとう。

おやすみなさい。

忘れないでね。

ぼくも、忘れないから。
おばあちゃんも、ぼくのこと忘れないでね。


おやすみなさい、おばあちゃん。



おやすみなさい。

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閉ざされた窓から漏れる光は、うっすらと雪の積もった地面をくっきり照らしていた。
その脇の暗がりに、小さな影が膝を抱えて座っている。

誰も、気付く者はいなかった。

外を行き交う人はいない。
そして、家の中にいる人たちも注意は向けない。

もとより、人に見える存在ではなかった。



やがて。

窓のすぐ横の丸太壁が淡く発光し、ひとつの光がゆっくりと現れる。
はっきりと形を成してはいないものの、それはどこか意志を感じさせるものだった。

その光を予知していたかのように、脇にうずくまる影―死神が身を起こす。
炯々と光る目に、目の前に揺らめいている光が映り込んでいた。

光もまた、すぐ傍らのその影に気付いたらしい。

じっと窓の方に向いているのが、少し向きを変えたのが分かった。


しばしの、沈黙ののち。

口を開いたのは、死神の方だった。

「お疲れさまでした。」

低い声ではあったが、その語調には優しさがにじむ。

『…あなたは?』

光の問いかけに、死神はちょっと笑って答えた。

「私は死神。命を全うされた魂を、案内する役目を負う者です。」

『まぁ、そうなんですか…』

怖れを抱く風もない光の中に、かすかな笑顔が浮かぶ。

『すみませんねえわざわざ。こんな寒い所で待ってて頂いて…』

「いえいえ。」

細長い指を振りながら笑って応え、死神はそっと視線を窓に向けた。
灯りに照らされた室内では、家族が亡骸の服を丁寧に整えているのが見える。

「おやさしい、ご家族ですね。」

『ええ…。』

同じように部屋の中を覗きながら、光はちょっと寂しげに言った。

『こんなに私の事を愛してくれた子たちなのに、最期に迷惑をかけちゃって…』

「迷惑?」

『だって、そうでしょ?』

室内を見たまま、光は淡々と続ける。

『イエスさまのお生まれになったイブの夜に召されるなんて、
ちょっとした悪い冗談でしょう。あの子たちにとっても…。
このさき毎年、この日には悲しみが伴ってしまうでしょ?』

「そんな事はありませんよ。」

少し語調を強めた死神は、小さく首を振った。

「痛みや苦しみ、そして悲しみは、いつかは癒えるものです。そして、いつまでも残るのが
思い出なんです。…楽しかった時を偲ぶ日が今日なのだというのは、決して悪い事では
ありませんよ。遺されたご家族にとっても。そして、あなたにとってもね。」

『そうですか?』

「ええ。」

笑顔で応えた死神は、その視線をそっと空に向けた。
それと同時に、その大きな2つの瞳に赤い光が映り込む。

「…何より、今日はこんな素敵な日なんですから。」

『………?』

その視線を追って振り返った光が、仰ぎ見た空。


そこには、星の瞬きをも圧倒する赤い輝きがちりばめられていた。



『まあ……』

感嘆の声は、少しかすれて聞こえた。

『これって、何の光なんですか…?』

「クリスマスイブの赤い光といえば、ひとつしかないでしょう。」

笑いながら答え、死神は長い指で空を指し示す。

「世界中に広がった絶望の霧をなぎ払い、心からのプレゼントを配る。
それが、あの2人の…サンタクロースさんたちの誇りなんですよ。」

『サンタクロース…』

呟くような声は、途中で途切れた。
しばしの沈黙を置き、光の語調は少し変わる。

『…何となく、憶えがある気がします。この赤い光には…いつだったかしら。』

「そうなんですか?」

振り返った死神が、励ますような口調で言った。

「なら、きっと思い出せますよ。すでに肉体という器からは解放されているんです。
どんなに昔の事だったとしても、思い起こすことは出来るはずです。」

『ええ。』

遠い過去の記憶を手繰るように、光はじっと空の輝きを見つめる。

やがて。

『…そうそう。思い出したわ。あれは、あたしが3歳だった時…。』



その声は、子供のようにはずんだ。

『重い胸の病気で、入院したままクリスマスを迎えたんです。父も母もその夜は
忙しくて…。それであたしは、絵本で読んだサンタさんをじっと待ってたんです。』

「病気で入院、ですか。」

『ええ。後で聞いたけど、あと1年生きられるかどうかって話だったそうです。
もちろんその時は知らなかったけど、でも、毎日苦しかったのは憶えています。
…だから、あたしは誰にも内緒で誓いを立てたんです。自分だけの誓いをね。』

「…どんな誓いだったんですか?」

死神の問いを受け、光の中の顔に笑みが浮かんだ。

『…サンタさんが、もしも本当にプレゼントをくれたのなら。その時はあたしも頑張る。
頑張って、病気を治してみせるって。だからイブの夜、息を詰めて待ってました。』

そこまで言った光が、あらためて空を見上げる。
明るい煌きは、さらにその数を増したように見えた。

『だけど、やっぱり夜中には眠くなっちゃって。うとうとし始めた頃、不意にこれと
同じ光が窓の外に見えたんです。同時に寝ちゃったけど…あくる朝、枕元には
大きなイヌのぬいぐるみが置いてありました。』

不意に、そこで含み笑いが漏れる。

『…そういえば、その夜に見た夢も思い出したわ。』

「どんな夢だったんです?」

『おかしな夢よ。』

光は、面白そうに笑って続けた。

『あたしよりもちっちゃなトナカイさんが、えらそうに胸を張って言ってるの。
お前は強い子のはずだろ、もっともっと元気になれるはずだろ!…ってね。
一生懸命にこわい顔をして、くどくどとあたしに言い聞かせてるのよ。
何だかそれがおかしくなっちゃって。自分の笑い声で目が覚めたっけ。』

「なるほどー。」

いかにも納得したといった風に、死神は長い息を漏らす。

「…それで、頑張られたわけですね。」

『ええ。そうなるわねえ。』

光は、もう一度振り返って室内に視線を向けた。

『あの日の誓いがあったからこそ、あたしは強くなれた。病気を治して、
大きくなって。自分の夢を追って。いろんな人と出会って、恋をして…
そして、今日までこんなに愛してくれる家族を持つ事ができた……。』

「すてきな人生ですね。」

『そうですね。』

誇らしげに言った光は、死神とまっすぐに向き合った。

『…こんなおばあちゃんの思い出話に付き合ってくれて、ありがとう。
もう、思い残す事はありません。案内してくださいな。』

「分かりました。では。」

そう言った死神の体が、音もなくふわりと舞い上がった。
その手に導かれるように、光もまたゆっくりと舞い上がっていく。

最後に振り返った、窓の向こう。

愛する家族たちの目には、涙が浮かんでいた。
しかし、その顔にあるのは悲しみだけではなかった。

去りゆく自分を、心から見送ろうという優しい笑顔。

子にも、孫にも。


ありがとう。

長い間、本当にありがとう。

また、いつの日か。



『ねえ、死神さん。』

「はい?」

応える死神の姿は、赤く照らし出されていた。
すでに空は高く、周囲は眩しいくらいの輝きに満ちている。

『…また、この光にあうことはできるかしら?』

「ええ。できますよ、きっと。」

死神の答えには、迷いもためらいもなかった。



きっと、あえますよ。

これから先。
生まれ変わった、その後で。

いつの事になるのかは、分かりません。

だけど。

信じる心を持っている限り。

自分の命を生きる強さと、やさしい心を忘れない限り。


きっと、またあえます。

きっと、ルドルフさんとクローネさんは訪れます。

あなたのもとへ。


聖夜に、光を連れてね。


信じてください。


いつの日か、きっと。

きっとです。





ひとつの命が、静かに終焉を迎えた。

新たな命と希望を、未来へとつなぎながら。


そんな、全ての命の営みへの、力強い応援として。

空いっぱいに光を撒き散らしながら、ルドルフとクローネは駆けていた。



誓いの夜を。

長い、クリスマスイブの夜を。






================【続く】===============


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